『紅い梅の木と白鳥』 ::: 七 :::
by 白菜




注意:今回は暴力的な表現がございます。
   ご了承下さる方のみ、お読み下さい。



梅の並木を抜けると、赤ん坊のマヤが居た大きな梅の木が見えます。今朝はどの梅の木も雪を被り、紅白に染まっておりました。
やがて、お宮の全景が見えて参ります。

向こう側に皆の背中が見えました。皆でお宮を見ている様子です。
しかし、マヤの姿が見当たりません。

「―――!!」

社(やしろ)の階段の上に、マヤとあの男が立っていました。マヤのこめかみに、男が何かを突きつけています。

――― 拳銃だ ―――

「……マヤ!!」真澄は、雪の地面を思いきり踏みました。

「……おや。あんたか」
真澄の姿を見て、男はにやりと笑いました。はたして男の右手には、陸軍が持つのと同じ、小型の拳銃が握られていたのです。
男はマヤを羽交い絞めにして、左手をマヤの体にがっしりと絡め、右手で彼女のこめかみに拳銃を当てておりました。

「速水さん!」
真澄の姿を見て、マヤの眼から大粒の涙がこぼれます。
視界の端にうずくまる村長の姿が映りました。真澄は慌てて村長に駆け寄りました。

「……大丈夫だ。撃たれた訳ではない」
血は出ておりませんが、蹴られたか殴られたかのようで、妻がその横で泣いておりました。
「……最後のお参りのはずが、村長がこの場になってマヤを渡す訳には行かないって言いやがってな」
男はあごを上げて村長をじろりと睨むと、真澄に向かって言いました。

「……わしが間違っていた。マヤはわしとおかみの娘だ。赤ん坊の頃から、大切に育ててきた」
村長は這いつくばって、社の階段へと近づきます。
「父さん!」
父の元へ行こうとしますが、男ががっちりとマヤを抱えているので、体を動かすことが出来ません。

「だが、羽のある娘だ。村長ともあろう人が、羽のある娘を育てていたなどと、他の人間が聞いたらどうなるかねぇ」
男は更にあごを上げると、にやりと笑います。そしてげへへと、あの下品な笑い声を出すのでした。
「マヤに羽があろうがなかろうが、そんなことは関係ないよ!!」
泰子と麗が叫ぶと、男はその迫力に体を少しだけ後ろに退きました。

「兎に角、約束は守って貰わないと。あんた達は大金を受け取ったしな」
大金、という言葉に、皆が村長を一斉に見ます。

「それは違います!あんたがマヤを育ててくれた礼だと、無理やり置いて行った金です!」
妻が金が詰まっているであろう風呂敷をばさ、と投げました。そして真澄の元へと駆け寄り、「マヤを、私の娘を返して下さい。娘は、このお方の元に嫁いで仕合わせになるのです!」と叫んだのです。

「母さん……」
マヤが、妻の顔と真澄の顔を、交互に見つめています。おののいた面の中に、ほんのりと笑みが浮かびました。

「マヤ、ごめんなさい。私はあなたを手放そうとしました」
「いいえ、母さん」マヤの眼から大粒の涙がこぼれます。
「私は間違っていました。マヤが仕合わせになることが、この母と、あなたを産んだ母の仕合わせだと気付いたのです」

「マヤ、許して下さい……」泣き崩れる妻の背中に、真澄はそっと掌を添えました。

「……もう、いいだろう。マヤを連れてゆくのを、諦めてくれないか」
静かに真澄は言いました。男から銃をどうしたら取り上げられるのか、それだけを考えておりました。

一歩だけ、足を前に踏み出します。さく、と軽い音が聴こえました。

「……近寄るな。本当の母親の居た村に、娘を何故連れて帰ってはいけないんだ」
マヤの首に、銃口を当てて男は言います。
真澄は、男の眼を真っ直ぐに見つめたまま、静かに、優しく言いました。

「マヤの母親がこの村でマヤを産んだのは、この村で仕合わせになって欲しい、という願いからではないのか」
子を思う母の想いを、真澄は男の眼に訴えます。

「……銃をマヤから離して欲しい。俺は無理やり君からマヤを奪うことなどしない」
真澄の本心でした。銃を突きつけられているマヤの心情を思うと、胸が張り裂けそうです。銃からマヤを離したい一心でした。
男の腕がぴく、と動きます。マヤを囲む腕が、少し緩んだように感じられました。

「頼む。銃を下ろして欲しい」
眼を決して逸らさずに言う真澄の迫力に、男が怖気づきました。ごくんと唾を呑む音が、静かな社に聴こえます。

一歩、二歩。真澄はゆっくりと男に近づきます。階段が手前に迫りました。

「……マヤの仕合わせが、母の、皆の仕合わせなんだ」

「……速水さ」

真澄の右足が、階段の一段目を、踏みました。

「うるさい。寄るな!何が仕合わせだ!マヤの母親は、俺の村を台無しにした」
「男と過ちをおかし、力を失った。それ以来俺の村は寂れてしまった」
「この娘のせいだ!おまえが出来たおかげで」

「マヤ!」
男が銃を両手に持ち替えました。そして、マヤの真正面に銃口を向けたのです。

「やめろ……ッ!」

真澄が階段を駆け上がったその時。



―――― お空へ……! ――――


女の声が、空から降って来たのです。


その声に弾かれたように、乾いた音が、お宮中に響きました。





誰もが、眼を、見開いたままでした。


火薬を燃した煙が、社にゆらりと漂います。


その向こうには、マヤだけが、おりませんでした。
下にも横にも、どちらにも、マヤの姿はございませんでした。




ばさ。

鳥の羽音が、お宮の上から届きました。



皆、空を仰ぎました。

其処には、白い鳥が、青いお空に浮かんでおりました。
大きな羽を拡げた白い鳥が ――――

いえ、鳥ではなく、マヤが白い羽を拡げて、お空の中をふわふわと浮いていたのです。

「マヤ……!!」
誰もがぽかんと、いえ、マヤ本人も、ぽかんと口を開けております。
そして、ざあ、と風が吹くと、そのまま、あっという間に消えてしまいました。

――― 今だ ―――
真澄は社の階段を駆け上がり、呆けている男の銃を取り上げました。

「……どうしてもマヤを村に連れて帰るか?……答え次第で、俺は正気を捨てる」

自分の胸倉を掴み、眉間に銃口を当てる真澄の眼に、男の体は縮み上がりました。
この男は、本当に俺を撃つ。あごの付け根から、がたがたと震える音が脳内に響きます。
男はへなへなとその場に坐り込むと、「ひとりで村に帰ります……」と、項垂れて言ったのでした。

「村へ帰る前に、俺と共に中央に来るか?この銃の入手方法を聞かせて貰いたいものだ」
男の頭上で銃の輪胴から、弾を外す音が聞こえます。男ははっと面を変え、「ああ、お許し下せえ。この銃は旅の途中で拾ったものでして、私は何も知らないんです」涙を浮かべて尻をつけたまま、ずりずりと後ずさるのでした。

「もういい。二度と姿を見せるな。万が一マヤの前に現れた時には……」
分かっているな、と真澄が言う前に、男は「分かりました。分かっています。二度と姿を現しません」と幾度も叫び、そのまま社の階段を転げ落ちると、妙な声を上げながらお宮から去って行きました。


「速水さん、マヤが飛んで行ったまま、何処かへ消えちまった」
麗とさやかが泣きながら、真澄の元へと走って来ます。
真澄は堀田と美奈に、村長夫妻を家まで送り届けて欲しいと頼みました。

銃を洋服の内側に仕舞うと、真澄はお宮のふもとにいる馬を目指して走りました。馬に乗ってマヤを探すことにしたのです。
馬の繋がれた場所に近づくと、鳥の羽ばたく音が聞こえます。

「あの黒鳥か…それとも……」
堀田が結んだ紅い紐の目印を進むと、馬のすぐ下で、マヤが倒れておりました。

「マヤ……!」
慌てて駆け寄ると、マヤは眠っておりました。初めて飛んだことに、疲れてしまったのでしょうか。
真澄がマヤの頬に手を添えると、とても温かいものでしたので、真澄は安堵の余り、全身の力が抜けたのでございます。
はあ、と大きく息を吐いた瞬間、マヤと自分の廻りに、ふわふわと白い羽が舞いました。
見渡すと、マヤの廻りには、たくさんの白い羽が散らばっていたのです。

マヤが飛ぶ時はこれだけ羽が舞うのだな。これからは掃除が大変だ。
くすりと笑うと、真澄はマヤを抱き上げたのでございます。


* * *




梅の木の下で、黒鳥が一羽、佇んでおりました。

マヤは、その黒鳥を見て、「母だ」と分かりました。


「……母さん、ありがとう」
黒鳥は、じいっとマヤを見つめるのみでした。紅いくちばしは、ぴくりとも動きません。

「お空へ、と声を掛けてくれたのは、母さんでしょう?」

黒鳥は、しばらくマヤを見つめて、首をぐいと伸ばしました。
そして、大きな羽を拡げ、ばさ、ばさ、とゆっくり上下させました。
羽の動きと共に、梅の花が舞い、辺りが紅く染まります。

黒鳥は、幾度も羽を動かします。梅の花が増えて行きます。

さああ、という風の音がして、梅の花がマヤを囲みました。
驚いて思わず瞼を閉じたマヤに、女の声が、響いたのです。

―― そうよ、マヤ。 でも、飛ぶのは、これでもう、おしまい ―――



「母さん……!!」

マヤは、夢を見ていたのです。
眼を開けた時、マヤは村長の家の、自分の部屋におりました。
そして、自分を囲んで心配そうに見ている皆の中に、村長の妻を見つけると、そのまま彼女に抱きついて、泣きじゃくったのでした。




* * *




「速水さん、〇〇県にある、紅村という村はご存知ですか?」
部下からの問いに、真澄は書類を持つ手が止まりました。

「知っているも何も……妻の在所だ」
「そうなんですか。あの、その紅村に、羽を持つ娘がいるという噂を聞いたのですが……本当なのでしょうか」
部下は小声で、恥ずかしそうに真澄に聞きます。

「……知らないな。君、そんな話を信じているのか」

「その娘は美しい声で唄い、旅人を迷わせるという話を聞いたのです……」
「それは確か、獨逸という国での人魚の言い伝えだ。君、それと勘違いをしているのでは」
仕事と同じに雑談もばっさりと斬る真澄に、部下は滑稽なことを言ってしまったと、下を向いてしまいました。

「だが、紅村は美しく豊かな村だ。梅の季節に一度行ってみるがいい。羽を持つ娘に逢えるかも知れないぞ」
「速水さん」
はっと顔を上げると、真澄は優しく、微笑んでおりました。

― 噂というのは恐ろしいものだな。羽を持つ娘が旅人を迷わせる、か
確かに俺は、マヤに魅せられ、虜になってしまった旅人のひとりだ ―


部下が執務室から出ると、真澄は窓の外を見ました。其処には青い空と白い雲が拡がっております。

紅村では、空を飛んだ娘を遠くから見た村人がおり、後日小さな騒ぎとなりました。
しかし村長が「神様が、夜の雪を心配して覗きにいらっしゃったのだろう」と言うと、皆は大変納得したのでございます。
その話が、こうして村の外に出て、新しい噂となっているのでしょう。
もう二度と、羽を持つ娘が空を飛ぶことはないのですが。


マヤと真澄は夫婦となり、東の街で暮らしておりました。


マヤの背中の羽は、一度飛んだだけで、すっかり消えてしまいました。
地上へ降りる時に、羽が抜け落ちてしまったのでしょうか。白い羽は、眠るマヤの下に敷き詰められておりました。
雪で冷えることのないよう、あの黒鳥が敷いてくれたのだと、真澄は心から信じています。
何故ならマヤを抱き上げた時、黒い羽が何本か、落ちていましたから。

眼が覚めて村長の妻と抱き合って泣いた後、マヤは真澄を見つけて初めて笑顔を見せました。
真澄がマヤの頬に掌を添えた時、何処からか一枚の黒い羽が、ふわりと落ちたのです。
それを見て、マヤは再び大粒の涙をこぼしました。

「あの時、お空へ、の声を聴いて、背を伸ばしたの。そうしたらお空に浮かんでいたの」
「少し先に黒い鳥が飛んでいたので、必死で後ろを追いかけたんです」
真澄は黒い鳥――本当の母が、マヤを飛ばせてくれたのだと知りました。
そして、温かい涙を流すマヤを、真澄はそっと抱きしめたのです。

「あんたたち、ふたりきりになるまでは我慢しておくれよ」麗の声が聴こえなければ、そのまま唇を重ねてしまう処でした。


真澄はその後、直ぐに東に帰りましたが、桜の花が咲く頃、マヤを迎えに紅村へ戻ったのでございます。
マヤは時折、手紙や村長の家にも置かれた電話を通じて、紅村に唄を届けております。
遠く離れていても、マヤと紅村は、一緒に居るのと同じなのでした。


マヤに羽のないことは、真澄が一番知っています。
羽がなくとも、今のマヤは、遠いお空へ幾度も飛んでおりました。
真澄の指が、唇が、マヤを飛ばせてしまうのですが、それはふたりだけの秘密でございます。
そして、マヤが可愛く艶やかに啼くことも、真澄だけの秘密でございました。



白鳥は、北の方の海にばかり棲んでいるのではありません。紅い梅の花が咲き誇る、紅村にも棲んでいたのでございます。



おしまい







あとがき

最後までお読み下さった方、誠にありがとうございました。
暗くて長くて、とにかく長くて、大変お疲れになったかと思います。すみません。

「赤い蝋燭と人魚」に感銘を受けて書いてみました。身の程しらずにも程があります。…うう
羽を伸ばしている時、着物はどうなっているんだろうと、書いた後に思いました。

まいこさま、このたびは、誠に誠にありがとうございました。

白菜 拝



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