『紅い梅の木と白鳥』 ::: 六 :::
by 白菜




夕刻になっても、雪はおさまる気配を見せません。
「明日の朝、雪が止んでいたらこの村を出る」男は言うと、宿へと帰りました。
マヤは、小さなつづらの前で、ずっと坐り込んでおりました。
村長の妻が火鉢の炭を持ち、マヤの部屋へ参りました。

「……マヤ、用意は出来ましたか?」
炭と一緒に、熱いお茶も盆の上にありました。

「……母さん、あたしはどうしても、行かなくてはならないのですね」
畳の上にマヤの涙が、ぽたぽたとこぼれます。
「雪が止むまで、あなたは私の娘です」妻が、マヤをぎゅうと抱きしめました。
そうです。手塩に育てた可愛い娘を、あのような卑しい男に差し出すなんて。妻の胸は張り裂けそうでした。ならばいっそのこと、あのお役人様の元へ行く方が、私は安心するでしょう。妻は素直にそう思ったのでございます。

「……マヤ、あなたはあのお役人様を、愛しく思っているのですか?」
涙に濡れたマヤの頬を、そっと両手で包みました。妻の顔にも涙が幾重にも滴っております。

「……はい。あの人は、私の羽など気にしない、と言って下さいました」
お役人様は、マヤの全てをご存知だったのだ。それでいて、あんなに必死にマヤの名を呼び続けてくれた。
私はなんという酷い仕打ちをしてしまったのだろう。妻の胸に、懺悔の気持ちが込み上げました。

「マヤ…」「母さん、ごめんなさい。あたし……」
ふたりはきつく抱き合って泣きました。雪が止んでしまえば、二度と逢うことも叶いません。

雪さえ止まなければ――――
マヤも、妻も、胸の内で叫びました。その時、マヤの頭に、誰かの声が響きました。

―― この雪は、夜半にすっかりおさまります。明日の朝、お天道様が、雪を溶かして下さいます ――

マヤは「ああ…!」と大きな声を出して、うつ伏せて泣きました。



夜半になるにつれ、雪の勢いが静まって参りました。

「このまま雪が止んでしまったら……」
真澄は何度も格子窓を開け、外の天気を確かめていました。彼は、麗の家に泊まっておりました。
宿に戻るよりも、此方に居た方が何かあった時に動きやすい、という麗の提案を受け入れたのです。麗は、堀田と美奈にマヤのことを伝えるついでに、彼らの家に泊まることにしました。
囲炉裏のある部屋で、真澄は立ち上がり、坐りを、幾度も繰り返しています。

――― お天道様は、すぐに参りますゆえ ―――

マヤの唄が思い出されます。彼女の唄の通り、闇夜を舞う白い雪が、少しずつ途切れておりました。
天を仰ぐと、雲の隙間にお月様もちらりと見えます。格子窓を開けると真澄は手を伸ばし、雪が止むのを知りました。
真っ白な景色が遠い向こうまで続きます。雪が音を吸い込んでしまった闇夜は、大変静かでありました。

「……頼む。雨でも槍でも、何でもいいから降ってくれ」そう言うと、吐いた息が白く霞みます。

「…?」

真澄は目を凝らしました。
白い景色の中に、何かがおりました。犬か、猪か…いや、もっと細身の体をしています。ぱちぱちと音が出る勢いで真澄は瞬きを致しました。

ばさ

羽音が聴こえた気がしました。雪が音を吸い取り、物音なんて何ひとつ聴こえやしないのに、羽ばたきの音が真澄の耳に届いたのです。

「……!」
黒い鳥が、おりました。長い首を、すっと伸ばした、黒鳥でございました。
お月様が黒鳥を照らしておいでです。くちばしが紅く艶めいておりました。

――― 君は、マヤの母親だろう ――――

真澄は、胸の中で問いかけました。黒鳥が、羽を拡げてすぐに閉じました。

「……君は、君の娘があの村に戻ることを願っているのか」
黒鳥はじっと真澄を見つめています。
「……マヤは、あの村で仕合わせになれるのか」

いつの間にかお月様がまあるい姿を見せて、紅村を照らしておりました。
黒鳥は、翼を大きく拡げると、ばさ、と音を立て飛び上がりました。
 
「教えてくれ!マヤの仕合わせが、あの村にあるのなら俺はそれに従う。違うのなら…!!」

真澄は外へと飛び出しておりました。黒鳥は、お宮の方へと、飛んで行ってしまったのでございます。



* * *



夜明けは、素晴らしい朝焼けでした。紅村の梅の色に負けないくらい、鮮やかな紅い色をしておりました。

その朝焼けを、マヤは泣きはらした面で、見ていました。昨日からひと時も眠れませんでした。

鶏が朝を知らせる前に、麗が堀田と美奈、さやかと泰子を連れて、村長の家へ向かっておりました。
誰もが一睡もしていません。お天道様、昇っちまうねえ、さやかがぽつりといいました。
早朝にも関わらず訪れた麗達を、村長夫婦は拒むことなく家の中へと迎えました。
一同の中に真澄の姿の無いことに、村長の妻は落胆したのでございます。彼が無理にでもマヤを奪ってくれるのでは、と望みを抱いていたからです。

その頃真澄は、お宮のふもとで、馬と共におりました。
堀田の家で、真澄以外の全員で、夜通しに考え、出した策でした。

村長の家へ訪れる前に、一同は真澄と逢っていたのです。堀田は真澄に、自分の家の馬を差し出して言いました。

あの男とマヤが現れたら、マヤを奪って逃げてしまえばいい。
マヤがいなくなれば、羽のある娘が居たことは誰にも証明出来やしない。それにあの男が、中央のお役人様に手出しが出来るとも思えない。
村長には俺たちが、力の限り説得する。

マヤの仕合わせだけを祈って、竹馬の友らが考えた策でございました。
彼らのマヤを思う気持ちと、自分への信頼が籠る熱い瞳に、真澄は深い感謝で胸がいっぱいになりました。そして、皆の前で、「マヤを必ず取り戻す」と誓ったのです。


麗達が家に入ると、マヤはおらず、その代わりに小さなつづらが置いてございました。
皆の胸が、ぎゅうと痛みます。
妻に呼ばれてマヤが二階から降りてきました。真っ赤な眼をして、頬は涙の跡が幾重にも残ります。麗の姿を見た途端、マヤは彼女に抱きつきました。それを見て、皆が涙を流したのでございます。

朝餉を用意しても、手を付ける者はおりませんでした。そんな中、あの男がやって来たのでございます。

「皆さんお揃いですか。へへ。お天道様が煌々と輝いておりますなぁ。これはさい先の宜しいことで」
げへへ、と下品な笑いを振りまく男を、皆黙って、じっと睨むだけでございました。

「さあ、早く行かねえと、村に着くまでに日が暮れちまう」
「最後に、お宮へお参りをさせて下さい」
この村の神様に、最後のご挨拶したいのです。静かに、それでいて通る声でマヤは言いました。

「ああ、そうだよ。この村の神様にご挨拶をしないと」麗が立ち上がって言うと、美奈とさやかも、「それくらいの時間はあるだろう」と口々に言いました。皆の様子を見た堀田が「先にお宮に行ってるぜ」と村長の家を飛び出しました。真澄にマヤのお宮参りを知らせるためでした。

男は、最後だからな仕方ねえな。と呟くと、自分も一緒であることを条件に、承知したのでございます。



村長の家で、皆はマヤと出逢えたのだろうか。それだけが真澄の気がかりでした。
もしも門前で断られていたとしたら、何処で馬を走らせようか。紅村の地図を幾度も頭に描きます。

「速水さん!」
堀田の声です。先ほどとは打って変わり、高揚しています。
「マヤがこれからお宮に来る。最後のお参りをしたい、って言ってくれたんだ。だからお参りが終わり、下りてきたマヤを馬に乗せちまえばいいよ」息継ぎもままならないのに、堀田は矢継ぎ早に真澄へ伝えます。

「……ありがとう……」
「いいってことよ。マヤの仕合わせは、俺たちの仕合わせでもあるんだから」
堀田は、片目をぱちんと閉じて真澄に言いました。麗と同じ仕草をする堀田に、真澄は眼を閉じて、頭を深く下げて礼を言いました。

此処に居ると目立っちまうから。お宮の入口から離れた処に馬を繋ぐと、堀田はお宮のお参りが済んだら直ぐに走ってくるからと、言い残して行きました。
さあ、と風が囁きます。温かく優しい風が、真澄の頬をそっと撫でました。真澄の手足に、熱い血潮がみなぎります。
ふと黒鳥を思いました。あの黒鳥は、俺をずっと見つめていた。その眼は厳しいものではないと信じている。ぐ、と拳に力が籠ります。

―― 俺は、心からマヤを愛している。どうか俺に、力を下さい ―――

真澄の遥か上から、鳥の羽ばたく音が、聴こえました。



お宮に向かう一同を、木の隅から見届けた真澄は、皆が戻るのを待っておりました。
しかし、一向に戻る気配が感じられません。
お宮の入り口からお宮までは、緩やかな坂の一本道で、それほど遠い距離ではございません。

「もう半刻以上経っている……マヤがお参りを長くしているのだろうか」
懐中時計を取り出し、今の時刻を確かめます。空は一面真っ青で、お天道様も眩しく輝いております。
その時、甲高い鳥の啼き声が、響いたのでございます。


「……!!」

目の前に、黒鳥が居ました。昨夜は小さくしか映りませんでしたが、それは大きな黒鳥でした。
黒鳥は羽を幾度も開き、ばさばさと羽ばたきを繰り返しています。それはまるで、真澄に何かを告げているかに見えました。

「何かあったのか?マヤの身に何があったんだ」
真澄は黒鳥の元へ走りました。黒鳥は、真澄の顔を見て、次にお宮の方を向き、そのまま飛び立ったのでございます。

「分かった。お宮だな」

真澄はお宮を目掛けて、力の限り走りました。



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