好きと嘘と、キスの値段。#一泊目


「真澄さま、聖です」
「ああ、きみか。どうした?」
「はい。あの…マヤさまのことなのですが」
「マヤ、がどうかしたのか?」
「実は、先ほどからひとりきりで、野宿できそうな場所を探しているようです」
「は?野宿…?」
「はい。若い女の子がこんな夜更けに、あまりにも無謀な行動かと。先ほども道行く酔っ払いに絡まれていて…真澄さま、マヤさまを保護しますか?」
「…保護?」
「その方が、よろしいかと」
「…聖」
「はい」
「まったく話が見えんのだが」
「…失礼しました。少々焦ってしまい説明不足でした。成り行きをご説明いたします…」

「おいチビちゃん、チビちゃんだろ?いい歳して家出か?」
「え?…速水さん!なぜここに?」
「たまたまここを通りかかったら、きみが大荷物を引きずって歩いていた。こんな時間にどこへ行くんだきみは」
「あの…住んでいるアパートが二週間、改装工事に入っちゃったんです。その間、アパートを出てどこかに身を寄せなくちゃいけないんです。でもあたし、それうっかり忘れてて…とりあえず身の回りのものは持ち出してきたんですけど」
「一緒に暮らしている仲間はどうしたの?きみと一緒じゃないのか?」
「麗も劇団のみんなも今は地方公演の真っ最中で、改装工事中はずっといないから、どこにも頼れなくて」
「なるほど。それで途方にくれて、夜の街をさまよっているのか?呆れた子だな。身の危険は感じないのか?こんな夜遅くに出歩いて」
「あ、あなたに心配されなくたって大丈夫です!あたしだって、それなりにちゃんと考えているんですから…!今日はもう遅いから、とりあえずどこかの公園で一晩しのごうって思って、よさそうなとこ探してるんです。それで明日になったら、桜小路くんにでも相談しようかなって…」
「…桜小路?」
「え、ええ。無理なことお願いできる人って、桜小路くんぐらいしかいないし」
「…………」
「一人暮らし始めたって言っていたから、ちょっとだけなら転がり込ませてもらえるかなーなんて…」
「…………」
「あの、聞いてます?速水さん」
「乗りなさい、マヤ」
「え?」
「車に乗るんだ」
「ええっ?ちょ、ちょっと速水さん!いたっ、痛いです、腕!」
「いいから、乗れ。さぁ」
「ま、待って。引っ張らないで!わっ!」

「速水さん、ここは?」
「おれのマンションだ。仕事が立て込んでいるときは、邸に帰るより気兼ねなく自由に行き来できるからな。そんなときはここへ来る」
「マンション?これが…?」
(…なんだか、すごいマンション…ガレージがあって、まるで一軒家だわ。さすが大都芸能の冷血漢オニ社長…お、お金持ちっ)
「さぁ、こっちだよ。中へ入りなさい」
「でも、あの…」
「…そこでずっと突っ立っているつもりか?」
「そんな言い方しなくても…!ええと、お邪魔、します…」

「うわぁ広い。広くて何もないわ。テレビとソファーとテーブルだけ?」
「必要最低限のものしか置いてないな。隣が寝室だ。部屋も寝具も、ここを掃除してくれるお手伝いさんがいるから清潔だよ。その点は安心していい」
「あ、あの…」
「野宿よりはるかにマシだろう。アパートの改装工事が終わるまで、きみはここにいるといい」
「いるといい、って…こんな、こんな立派なマンションに?あたし、困ります…」
「困る?野宿以上に困るのか?」
「だって、あの、迷惑じゃないんですか?…それに、こんな風にしてもらっても、あたし何もお礼なんか出来ないし…」
「なるほど。もっともな回答だ」
「はい」
「そうだな。迷惑かといえば、ここはもともと頻繁に出入りする場所じゃないから、迷惑じゃない。あと、きみからの礼なんて望んでないから、気にしなくても結構だ…と、おれらしくない優しいことを言ったら、ますますきみは気兼ねするんだろうな」
「…はい」

「では…大抵こういった場合は、金で解決できなければ身体で支払ってもらうのが、昔からの相場か?」
「か…からだ…っ?」
「まぁ、ここの立地上、このマンションを賃貸として貸し出した場合、ざっと月に100〜120万の賃料といったところか」
「ひゃ、ひゃ、ひゃくまん!?」
「きみが二週間ここに滞在するとして、その半分の50〜60万は、おれに支払わなければいけない賃料となる」
「あ、あの、あの」
「ほう。そう考えると、身体で支払ってもらっても、妥当な相場だな。きみはもう、立派な大人の女性なんだろ?」
「は、は、速水さんっ!?」
「ぷーっ、あははは!冗談だよ冗談。なんて顔してるんだチビちゃん」
「な!?…ひとを、からかって、楽しいですかっ!」
「くくくっ、いや、すまない。つい面白くて悪乗りしすぎたな。正直なところ、きみにはこれ以上恨まれたくないのでね。だから今の話は、単なる冗談」
「…本当に?」
「あたりまえだ」
「…でも、じゃあ、どうしたらいいの?そんな高い家賃なんて、あたし、本当に無理だわ」
「そんなに、おれに貸しを作るのは嫌か?」
「…ええ、速水さん…」

「あたし…あたし、あなたに、借りは作りたくありませんから。そういうの、嫌ですから…!だっ、だから…、だからっ」
「だから?」
「か、身体の代わりに、…キ、キ、キ、キス、で、どうですか…!?」
「……は?」
「か、身体は無理、だけど、唇でよければ、あなたに、毎日、キ、キスします。身体じゃなくて、くちびるで支払います!」
「……!?」
「これで、どうですか…!」
「……本気で言ってるのか、それ」
「い、一応、本気です」
「…………」
「速水さん、あの…?」
「…………」
「…なんか、言ってください〜…」
「……わかった。契約成立だ。では、今日の分を早速支払ってもらうことにしよう」

「――――!?」
「ここに、おいで」
「…あ、あの…?ち、ちょっと待ってください。そこは普通、断るところでしょっ?」
「なぜだ?せっかくの申し出を断ったら、きみの立つ瀬がないだろう?」
「いや、だって…!」
「だってじゃない。きみから言い出したことだ」
「でも、その、えと、…ホ、ホントに…?」
「プッ、なんて情けない声なんだ。たかがキスだろう?それともきみは、その歳でまだキスも経験していないのか?」
「はや、速水さんっ!?…もう、いいです!わかりました!しますよ、今から!キ、キスしますからね!すりゃいーんでしょ!」

「目を、閉じてください…!」
「わかった」

(こんな、間近で速水さんの顔見るの、初めてかも…あ、まつげ長い…。は、速水さんの、唇…!お、お、おちつけ、あたしの心臓…!)

「いっ、いきます…!」

ちゅっ。

「お、おわりです」
「…本当に触れたのか?全然解らなかった」
「ふ…っ、触れましたよバッチリ触れました!解らないなんてうそっ!ちゃんと触れました触れましたもう速水さんのばかー!」
「こら、落ち着けチビちゃん。暴れるな」
「もうチビちゃんじゃありませんってば!速水さんなんか嫌いです!いつも人を小バカにして上から人を見下していて態度デカイし偉そうだし冷血漢だし強引だしイヤミだし」
「マヤ…初めてだったのか?」
「………っ」
「マヤ」
「手…離してください」
「…………」
「もう、寝ます」
「ああそうか、そうだな…じゃあおれは帰るよ」
「明日も、ちゃんと払いますから…大家さん、取立てに来て…ください。あたし、ちゃんと払いますから…!」
「…ああ、来るよ。ちゃんと毎日」

マヤ…どういうことだ?
きみの考えていることは、いつもよくわからない。

冗談で済ませたいのなら、なぜ「抱いてくれ」じゃない?そう言われれば、きみをあざ笑って叱りつけて、それで話は終わるはずだったのに。

キスしたいって何なんだ。
そんな代価、おれは知らない。

速水さん…どうしてあんな提案、拒んでくれなかったんですか?笑われるとばかり思っていたのに…

速水さん…
紫のバラのひと…
あたし、またあなたがわからない…あんなに綺麗な婚約者がいるのに。

どうしてあなたは、拒まなかったんですか?

毎日、来てくれるって、本当ですか?


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