『紅い梅の木と白鳥』 ::: 三 ::: by 白菜 ![]() 同じ頃、村長の家に村人が十人ほど集まっておりました。 堀田と美奈を筆頭に、村人達が真澄の存在を不安に思い、村長へ相談に参ったのです。 「村長、その役人は村を見に来ただけ、と言ったのかい?」 麗が信じられない、という顔をして言いました。 「ああ。マヤのことは一言も言わなかった」 村長の言葉に、皆がざわめきます。 「……こんな村に、中央の役人が何しに来るんだい」堀田の言葉に、「そうだ」と合いの手が飛びます。 「山の向こうに汽車が通ったから、こちらに線路を延ばすのかもしれないよ」 さやかが泰子に言いました。 泰子は「汽車が通れば何かと便利になるねぇ」と背中の赤ん坊をあやして言うのでした。 「……それならいいが……」 マヤを本当の妹と思う麗は、美奈の「あの男は、マヤの名を知っていた」を聞き、不安でたまりませんでした。 「兎に角、彼には、マヤを今後一切会わせない」 村長の言葉に、皆が一斉にうん、と頷きました。 「村長さん、居るかい?頼まれた酒を持って来たぜ」 酒屋の主人の黒沼です。妻が部屋に入るよう促しました。黒沼は、部屋にいる村人に挨拶をして、言いました。 「先刻背の高い洋装の男とすれ違ったが、あれは村長のお客人かい?」 「ああ、東から来た役人だ。名刺を貰ったが……」 村長は真澄の名刺を探しましたが、見当たりません。 妻は彼が去った後、家を出たマヤを思い出しました。 「東から来たお役人か。その隣にマヤが居たが、なんだか楽しそうにくっちゃべっていて、俺はそっちの方に驚いたぜ」 黒沼はおどけた調子で言うと、直ぐに出て行ってしまいました。 村長と妻は、しばらく言葉を出しませんでした。他の村人も、同じでした。 「マヤ、こちらへ来るのです」 家に帰ったマヤを迎えた村長の妻は、怖い顔をしておりました。 マヤは、何か悪いことでもしたのだろうかと母親の後を追いました。 堀田達はマヤがこちらへ着く前に、各々の家へと戻っておりました。 「父さん、母さん、どうかしたの?」 上座に坐る村長は、じっと畳を見つめておりました。いつもとは違う様子に、マヤの胸の奥がざわめきます。 「マヤ、来月の五穀豊穣のお祭りのための、唄の稽古はしているのか」 もう何年も行っているマヤの唄と舞について、このような叱りを受けたことはございません。ですが、父の厳しい顔を見た時、真澄の顔が思い浮かんだのでございます。彼に包まれた両手を、膝の上で硬く握りました。 「はい。父さん。今夜から、神様に捧げる唄の稽古を欠かしません」 「お前は神様から授かった子です。神様にお祈りを欠かしてはなりません」 妻が、静かに言いました。 「しばらくはお宮以外の、何処にも行ってはならん」 村長がマヤに命じました。しばらく、というのが真澄が旅立つ日まで、という意味は、妻だけに伝わりました。 あたしは普通の娘ではないのに、あの人、速水さんと一緒に居たい、と思ってしまった。 父さんと母さんを哀しませるようなことはしてはいけない。 背中の羽の蕾みが、ぎりぎりと痛みました。 マヤは、夕刻のお宮参りで、神様に謝らなくては、と真摯に思ったのでございます。 * * * 夜の紅村は電灯がまだ少なく、陽が落ちると辺りは真っ暗になります。 真澄は、自分の幼い頃を思い出していました。 その頃も今も、お月様が道を照らし、星の座標が方位を教えて下さいます。 真澄は、宿から借りた提灯を手にして歩いておりました。夕餉もそこそこに、お宮の方向へ歩いていたのでございます。 マヤに逢いたい。逢えるといいが。朝と夕にお宮でお参りをしていると言った……。 真澄は自分が、少年のようだと思いました。 貧しい田舎に住んでいた頃は、田畑を駆け回り、着物を汚して母に叱られる、やんちゃな子どもでした。 中央では厳しい、冷徹な眼の真澄が、好いた娘に逢いたいがために、暗い夜道を胸をときめかせ歩いています。 真澄はこの村に来た目的を、すっかり忘れておりました。 「速水、さん?」 背中からマヤの声が聴こえました。真澄は驚いて提灯を落しそうになりましたが、どうにか堪えたのでございます。 「マヤ……」 「本当にいらっしゃるなんて」 マヤは胸の上で、両手を組んでおりました。指の震えを抑えるためでした。 真澄のことを懺悔するためにお宮に来たはずが、彼の後ろ姿を見た途端、嬉しくて震えてしまっていたのです。 「……君に逢えてよかった。君に逢いに来たんだ」 真澄がマヤの前に立ちます。提灯の炎がゆらりと揺れました。 「速水さんは、何故、そんなことを言うのですか」 自分よりも幾つも上の、大人の男が、しかも洗練された男が、自分に逢えてよかったと言うなんて。 信じられない、という気持ちより先に、甘い喜びがマヤの体を駆け巡ります。 「……自分でも、分からない。だが、君に逢いたくて、此処に来たのは真実だ」 仄かな灯りに映る真澄の顔は、紅く染まっておりました。マヤもまた、頬も指先も首筋も、紅く染まっておりました。 「あ、あたし、お宮に行かなくちゃ」 自分を見つめる真澄の視線に息が出来なくなったマヤは、くるりと背中を見せました。 このまま見つめられたら、あたしは神様を、父さんと母さんを裏切ることになってしまう。マヤは小走りで山道を進みます。 「危ない!」 ざああと砂利の乾いた音が響きました。慌てて走ったので、マヤは大きな石に躓いてしまったのです。 温かい、とマヤは思いました。転びそうになった彼女を、真澄が後ろから抱きとめておりました。 マヤの小さな体は、大きな真澄の内側に、すっぽりと包まれていたのでございます。 「……夜道は見えにくいから気をつけなさい」 「ありがとう、ございます」 しかし、真澄はマヤを抱きしめる腕を緩めませんでした。 「速水さん……」 心臓の鼓動がふたりの間で響きます。どちらの音なのかは全く分かりません。 「マヤ、笑わないで聞いて欲しい」 真澄の声が、マヤの耳のすぐ横から届きます。彼の吐息が耳にかかりますと、ぞく、とマヤの体の奥が震えました。 「……今日、逢ったばかりだが、いつまでも君と居たいと思った」 絞るように出す声が、真澄の熱情を示しています。 「あ」マヤの耳に、真澄の唇が触れました。 「はやみ、さん」 マヤの背中は、火を灯したかのように熱くなっています。まるで羽が、蝋燭に変化したのではと思うほどに。 「……マヤは、どうなんだ?」 マヤの肩と腰を、真澄の掌がぎゅ、と包みます。 ―― あたしも、です ―― 黒髪の向こうから、マヤの呟きが聴こえました。 小さな微かな声ですが、真澄にはしっかり届いておりました。 真澄の血潮がたぎります。マヤの顔を見たくてたまりません。 「でも、あたしは駄目なんです。あたしではいけません」 だって、あたしには羽があるのだから ――――― マヤが言葉を出すことは叶いませんでした。 真澄の唇が、マヤの唇をふさいでおりましたから。 * * * 翌朝まで、真澄は眠ることが出来ませんでした。 目を閉じると、マヤの耳が、唇の柔らかさが思い出されて、ため息が自然と出てしまうのです。 唇を離すと、マヤは走って消えてしまいました。 「あたしではいけません」というマヤの言葉は、自分との身分の差なのだろう、と真澄は思いました。 ―― マヤに逢いたい。逢わなければ ――― 真澄は体を起こすと、あのお宮へ行こうと身支度を始めました。 「すみません。お尋ねしたいことが」 初めて聞く男の声が、真澄の背中に届きました。 玄関にて靴を履いたばかりの真澄は、声の主を振り返りました。 其処にいたのは、昨日宿に来た旅人でした。首を前に出し、上眼に真澄を見る男の唇は、斜めに歪んでいます。 このような顔をする輩に碌な者はいない。真澄は眉を顰めました。 「昨日の昼に、貴方と一緒に居た娘は、貴方のお知り合いですか?」 男が唐突に聞きます。昨日の昼、一緒に居た娘―――マヤのことに間違いはございません。 「……知り合いではないが」 本当のことを言う必要はないと、真澄は判断して答えました。その答えに男は、げへ、と不快な音を立てて笑いました。 「あの娘を探していたのです。昨日あの娘を見て息が止まりそうでした」 「探していた…?」 男の言葉に、真澄は先刻よりも深く眉を顰めたのでございます。 「あの娘は、明日を当てる不思議な力を持っているんです」 この男も知っていた――― 真澄は早く彼女を迎えにいかねばと焦ります。そんな真澄を無視して、男は言葉を重ねるのでした。 「何故俺が知っているかというと、あの娘の母親は、俺の村に居たんだ」 「……?」 「あの娘の母親は、背中に鳥の羽を持っていた。空を飛び、明日を当てた」 鳥の羽―――マヤを初めて見た時、彼女の背中に羽が見えた。まさか、と真澄は推しはかります。 「明日ばかりではない。数日後に起こることも言い当てた。俺の村では、あの女を崇め奉っていた」 真澄よりも年上に見えますので、マヤの母親をその目で見ていたのでしょう。男の語りは滑らかになってゆきます。 「だが、あの女は村に来た若者と過ちをおかし、子を身ごもった」 「……」 「過ちをおかした日から、あの女は明日を見ることが出来なくなったのだ」 「そのおかげで、村は寂れてしまった……あの女が俺の村を台無しにした」 男は、ぶるぶると震えました。 「……あの娘が、お前の言う、女の娘だという確証はないだろう」 真澄は思わず言いました。目の前の男の言うことは、只の思い込みではないかという気持ちも湧きましたから。 「昨日この目ではっきりと見た。あの女に生き写しだった。しかも、明日を当てるという噂も聞いた」 「……あの娘の背中に、羽があれば。いや、あるはずだ」 「羽……」 「俺はあの娘を、必ず村に連れて帰る」 真澄は男の醜い顔を、これ以上見たくはありませんでした。 「……私には関係のないことだ」 冷ややかな眼で言うと、男はようやく気付いたようです。 「あ、へへ…旦那様、すみませんでした。俺の言ったことは忘れて下せえ」 男が部屋へ戻る足音を聞きながら、真澄は小さく舌打ちをしたのでございます。 早くマヤに逢わなければ。 真澄は引き戸を思いきり開きました。ひや、と冷たい空気が頬をなぶります。空一面に灰色の雲が覆っておりました。 「……雪が降るやもしれないが、お天道様は、すぐ参ります、か」 マヤの言う通り、雪の降りそうな空でした。 * * * 「どうしたんだい。元気がないね」 朝のお参りが終わると、麗がマヤに言いました。 麗は、昨日の昼に村長の妻から、「しばらくマヤと一緒に朝と夕のお参りをして欲しい」と頼まれていたのです。 「麗……」 「昨夜は夕のお参りに来られなくて済まなかったね。泰子から頼まれごとがあってさ」 「ああ、大丈夫よ、麗。無理はしないで」 マヤはにっこりと笑うと、唇に指を添えました。今朝のマヤは、この仕草を繰り返しておりました。 昨夜、真澄にふさがれた唇です。真澄を思うと、体中に熱が廻ります。甘い匂いが自分の内から湧き立つようでした。 そして、麗が来なくてよかった、と安堵していたのでございます。 「マヤ、どうしたんだい。熱でもあるのかい?」 頬が紅く染まるマヤを見て、麗が彼女のおでこに掌を当てました。 「麗」 「ん?」 「麗は、男の人を好いたこと、ある?」 麗の切れ長の眼が、大きく開きます。マヤの口から、そんな言葉が出るのは初めてのことでございました。 「マヤ、気になる男でも出来たのかい?どいつさ。もしかしたら優かい?」 「アイツは頼りないが、うん、いいんじゃないのか。そうだマヤ、あたしが口添えしてやろう」 妹の初恋を、姉として成就させねばと麗は興奮して言います。 「でも、あたしじゃ駄目なの」 マヤは、黒い瞳から、円い涙をぽろぽろと流しました。 「マヤ」 「あたしの背中には羽があるの。一度も開いたことはないけれど、あたしは人間ではないの」 初めて聞くマヤの告白に、麗は思考が止まりました。だって、目の前に居るマヤは、誰がどう見ても人間の娘です。 「マヤ、何を言っているんだい。あんたは人間じゃないか……何でそんなことを言うんだい」 麗は真剣な眼差しで言いました。幼い頃からずっと一緒に居るマヤが、人間ではないなどと、信じられなかったのでございます。 「麗、あたしは夏の川遊びを、皆と一緒にしなかったでしょう?」 「お風呂を皆で入ることも……」 微笑んで首を傾げるマヤは、大人びて見えました。麗の顔をじっと見つめていますが、何処か遠くを見ているようにも感じます。 ああ、麗は声を出しました。幼い頃からマヤは、夏の川に入ることもなかったし、皆と一緒に風呂に入ることもなかった。 恥ずかしがりのマヤだから、と誰もが納得していたのを、麗は思い出したのでございます。 「あたしの背中には、羽があるの」 そう言うと、マヤはくるりと背中を見せ、着物の衿足をぐいと拡げました。 「麗、見て」 恐る恐る覗くと、うなじの下に、折り重なる花びらのような、白い羽がありました。 その羽は、薄く縮かんでおりましたので、今まで気付かなかったのだな、と麗は感心をしたのです。 「……マヤ」 「この村の人は羽を持っていないわ。本の中にも、そんな人は見たことがない」 マヤは、幼い頃から秘めていた思いを、初めて麗にさらけ出しました。 「あたしは人間ではない、奇妙な生き物なのよ」 「マヤ!あんたは人間だよ!!」 麗は心の底から叫びました。血の繋がりはありませんが、麗にとってマヤは大切な妹なのです。 「羽のあるあたしが、あの人を好きになってはいけないの」 マヤは梅の木の根に坐り込み、両手で顔を覆い泣き崩れてしまいました。 「……マヤ……」 背中を震わせ泣くマヤを見て、彼女が恋焦がれる男とは、一体誰なんだろうと麗は思います。 そして、羽を拡げたマヤはさぞかし美しいだろう、と思うのでした。 「羽があるから駄目だということは、決してない。マヤ」 男の声が透りました。 マヤはその声を聞くと、掌の内で、ぱちりと瞼を開けました。 「速水、さん」 はたして、其処に居たのは、真澄でした。 ::: 前へ ::: もくじへ ::: 次へ ::: ![]() ■おしながきへ戻る |