『紅い梅の木と白鳥』 ::: 四 :::
by 白菜




「速水さん……」

真澄はマヤの前に坐ると、彼女の頬を右の掌で包みました。そして、親指でそっと涙を拭いました。
マヤの小さな手が、彼の大きな手の上に重なります。

麗はふたりの様子を、黙って見るしか出来ませんでした。
マヤの好いた男が洗練された大人の男であり、ふたりとも熱を帯びた瞳で見つめあっている。麗は眼の前で起こっていることが、夢ではないかと思っておりました。

「マヤ、だから駄目だと昨夜言ったのか?」
「……」
「羽があるから、自分では駄目だと」
「……はい」

真澄はマヤの返事を聞き、彼女の頬を両手で包みました。

「……羽があろうがなかろうが、俺には関係ない。マヤはマヤだ」
「速水さん……」
そして、大粒の涙をこぼすマヤを、真澄はぐいと抱き締めたのです。

「ちょっとあんたたち、いい加減にしなよ……」
麗の呆れた声で、真澄とマヤは、ようやくふたりきりではない、と気付いたのです。

「すまない」「ごめんなさい、麗」
大きな真澄と小さなマヤが、地べたに坐ったまま、麗に何度も頭を下げています。
マヤはともかく真澄の姿に、この男は見た目と違い、純朴な男なのでは、と思ったのでございます。

「ああ、速水さんだっけ。そんなに謝らないでくれ…じゃなくて、気にしないで下さい」
「俺には気を遣わないで話をして欲しい。マヤの姉さんなのだから」
あたしのことを既に話していたのかい、いつの間に。麗はまじまじとマヤの顔を見つめました。
恥ずかしがりのマヤが、男と恋仲になるなんて。ちく、と麗の胸に針が刺しました。

「速水さん、あんた、身分の高いお人だろう?」
麗は真澄のことを、中央の役人だとは知りません。ですが、彼女は書物を読むのが好きでしたので、色んなことを見聞きしておりました。
仕立ての良い洋服と聡明な雰囲気に、真澄が身分の高い人物である、というのがすぐに分かったのです。

「あんた、まさかマヤをお妾さんか女中さんにしようか、って算段じゃないだろうね」
「麗!!」
意地悪な気持ちで言ったのではございません。大切なマヤの悲しむ顔など決して見たくないのです。

「俺は結婚はしていない。それにそのような気持ちでは決してない。誓う」

真澄の真剣な表情は、麗とマヤの胸を鋭く貫きました。胸の真ん中を刀で突かれたように息が出来ません。

「……速水さん、あたし、羽のある奇妙な女です。それでもいいんですか?」
マヤは、両の拳を震わせて言いました。閉じた瞼から、涙がどんどん流れます。

「……奇妙などと二度と言うな。俺は君を離したくない」
「速水さん……!」
今度はマヤが真澄に抱きつきました。麗は、「やれやれ、見ちゃいられないよ」とくるりと後ろを向きました。その時、麗の頬を冷たい空気が触れたのです。

「あ……」

ちらちらと降り始めた雪を背に、村長の妻が、青ざめた顔をして立っていたのでございます。



* * *



村長の妻が見たのは、男に寄り添っているマヤの姿でした。しかもその男は、昨日村長を訪ねたあの役人です。
隣には麗が居る。しかし、マヤと真澄を叱ることなく見守っている。妻の体温がすう、と引くのが分かりました。

「マヤ、家に戻りなさい」
妻は般若の面でした。マヤは真澄と一緒にいる姿を見られたので、母に本当のことを言わなければと誓いました。
「母さん、あたし、速水さんのこと……」

「……速水さん、中央のお役人様が、こんな田舎にお越しの訳は、慰み者をお探しにでございますか?」
冷たい眼で、妻が真澄に言い放ちました。

「母さん!!」「おかみさん!?」
マヤと麗が同時に叫びます。真澄は妻の眼に、抗いの意思を返しました。

「……マヤ、お客様がお越しです。さあ、早く」妻はマヤの手首をぐいと引き、無理やり連れて行ってしまったのでございます。

「お客様…?マヤにってことかい…?」麗が呟きました。
あいつだ、と真澄は閃きました。マヤの母が棲んでいた村の男が村長の家を訪れている。
そして麗は、中央のお役人様、という妻の言葉に引っかかりを感じておりました。昨日村長が言っていた男は、もしかしたらこの男なのか。
ごくり、と喉が鳴りました。真澄と麗が、同時に鳴らした音でした。


母さん、痛いわ。放して。マヤの声が遠くなり、辺りが静かになった頃、麗が言いました。

「速水さん、雪が本降りになってきた。体が冷えちまう」
ふたりの髪や肩に、雪の結晶がいくつも付いておりました。

「……客とは、あの男のことに間違いない」
「あの男?」
「……マヤの母を知る男だ。マヤが危ない。なんとかしなくては」
真澄は走りました。村長の家に行かねば。マヤはあの男に連れて行かれてしまう。
「あ、ちょ、速水さん!」
麗も慌てて、真澄の後を追ったのでございます。


* * *


お客様とは、やはりあの男でした。
マヤが麗とお宮に向かっている間に、彼は村長の家を訪れていたのでございます。

男は、村長の家に入るなり、「大金を出すから娘を売って欲しい」と申し出ました。
村長と妻は大変に驚き、その次に、男へ怒りを露わにしました。
「出て行け」と村長が怒鳴っても、男はどっしりと坐ったまま、げへへ、と卑しい笑い声を出すだけです。

「うちの娘を売れなどと、わしを誰だと思っているのだ」
村長は男の前に立ちはだかり、拳をぶるぶると震わせておりましたが、男は全く動じません。
「早く出ていけ。二度とわしの前に姿を現すな」
男の着物に村長の手が触れた時、男は信じられないことを言ったのでございます。

「あんたの娘に、羽があると知ったら、どうなるだろうね、村長さん」
ひゅっと息を呑む音が聴こえました。続けて村長の妻が、がたがたと震えたのでございます。

「……俺は、あの娘の母親を知っている。大きな羽を持っていた」
そして、宿の玄関で真澄に聞かせた同じ話を、村長夫婦に語り始めたのです。

男の話を最後まで聞いた村長は、静かに妻に言いました。
「マヤを……呼んで来なさい」と。



お宮から無理やり連れて来られたマヤを見た時、男は息を呑みました。
男の知る、羽を持つ女とそっくりの顔だったからです。男は大きな声で笑いました。
「やはりあの女の娘だった。ようやく見つけたぜ。俺はあんたをずっと探していたんだ」
男の言葉に、マヤは父母を見ました。父は項垂れ、母は自分を見て泣いています。

「……マヤ、あなたの母の棲んでいた村の人が、あなたを迎えに来たのです……」
「迎えに?何のことか分かりません」
マヤは力を振り絞って言いました。しかし。
「あんたの背中には羽があるだろう?これが世間に知れてしまったら、どうなることやら」
マヤの全身から、力が抜けてしまいました。立っているのもやっとでした。

「俺と一緒に村へ帰ってもらう。俺の村の明日を、これからはあんたに見てもらわないと」
ゆらりと男が立ち上がりました。マヤは恐ろしさのあまり、身の毛のよだつ思いでした。

父さん、母さん、どうなっているの?麗、さやか……。
速水さん、助けて――――


その時、村長の家の玄関を、激しく叩く音が響いたのです。



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