Chapter2   『女優の品格』



「専属契約にあたり、マヤが出した条件はただ一つ、“出演作品は必ず自分の了承を得て決定する事”。あの時はこれほど手を焼かされる条件になるとは、夢にも思わなかった。」
速水は、ドラマの企画書をピシャリと机上に投げつけた。
ドラマタイトル、『君の下着に恋してる』。下着メーカーで働く主人公を通じて、職場での人間関係や恋愛のドタバタを描くラブコメディ。毎回テーマとなる下着が決まっていて、それになぞらえたストーリーで構成された一話完結のオムニバス形式で展開する。喜劇を得意とする商業劇団の脚本家が書き下ろした初のテレビドラマ作品であり、このドラマの演出家も兼任している。アングラ演劇界では熱狂的な固定ファンが多数いる事で有名だが、テレビ業界での可能性は未知数。放送時刻土曜24時15分からの深夜枠で、視聴者層が大幅に限られる。当然、大手のスポンサーがつくはずもなく、ギリギリの予算での製作を余儀なくされている。マヤの出演料が破格の安さであったのは言うまでもない。他にも、高額なギャラが発生するタレントは一切起用せず、劇団出身の役者を多数集めたと聞く。つきかげと一角獣の団員も何人かオーディションを受け、出演が決まっていたはずだ。特に青木麗は4番手のクレジットに入る、重要な役どころである。
「この脚本家、直接マヤに会って出演を直訴したそうですね。」
「ああ。紅天女本公演の合間を縫ってマヤに接触したらしい。何でも、無理やり台本を握らせてその場で土下座したそうだ。前々からオファーがあったのは知っていたが、箸にも棒にも掛からん企画だと端から候補に挙げなかったからな。一か八かの捨て身の作戦だったんだろう。」
「まぁ、大変な情熱…いえ、“執念”ですわね。」
「その時に渡された台本を読んで直ぐ、マヤが出演したいと言ってきた。でなければ今後どんなドラマにも出演する気はないと脅されたよ。」
速水は当時のマヤとの会話を思い出して、苦々しく顔を歪めた。華々しくお膳立てされたプロジェクトを一蹴し、役者としての直感を信じたいと俺の前で高々に宣言したマヤ。それはまるで、マヤを芸能界から転落させたかつての大都の強引な手法を真っ向から否定されているかのように思えて、心の奥底にある癒えない古傷の存在をまざまざと自覚させられたのだった。
「実際のところ、マヤの選択眼は本物でしょうか?」
「出演に関しては既に決断を下した案件だ。今さらどう足掻いても仕方あるまい。放送が始まれば自ずとわかる事だろう。…ま、どうやら宣伝効果は上々のようだし、期待しておくとしよう。」
速水は嫌味とも取れるようにそう言い捨てると、とっくに会見を終えていたテレビを消した。どうやら先程の自分の言葉に機嫌を損ねたようだと、水城はやれやれと溜息をつく。
「このドラマがコメディでなかったら、マヤもこのような対応はしなかったと思います。私から注意しておきますので、怒らないでやってください。」
「怒っているわけではない。」
十分に怒っているではありませんか…と言いかけて水城は口をつぐんだ。
「…私生活に関わる事をベラベラとしゃべって、マヤは自覚が足らなさ過ぎる。並の芸能人とは格が違うんだ。紅天女の名が泣くぞ。」
不満げに呟く速水に、水城は速水の怒りの原因にようやく思い至った。
「“高校時代から使っている下着”、“綿100%”、“上下バラバラ”。なかなかユニークなキーワードが並びましたね。」
速水の肩がピクリと反応する。水城は、予想的中とほくそ笑む。
「女優として庶民感覚が過ぎるのは確かに問題ですが、今どきの子には珍しく、純朴で親しみやすいという見方もできますわ。実際、この件に関して視聴者の反応は好意的です。責任や自覚は、キャリアを積み重ねれば自ずと身に付いていくでしょう。今回ばかりは大目に見ても宜しいのではありませんか?」
「しかし、こんなインタビューを聞いたら世間の男は何と思うのか…。」
それでもブツブツと文句を言う速水の様子に、水城の眼鏡の奥がキラリと光った。
「…それにしても、さすがの紫のバラの人も下着までは贈ってくれなかったようですわね。」
「!!!」
グッと息を詰まらせる速水。
「そ、それはそうだろう…!!下着を贈る為にはサイズが必要だが俺がそれを知るはずもないし、大体、年頃の女性に下着を贈るなんて、そんな意味深な事を…!!」
「紫のバラの裏に隠した下心。…そんなものが、善意の象徴である紫のバラの人の中に存在する訳がありませんものね。大変失礼を致しました。」
しゃあしゃあと頭を下げて謝罪する水城に、速水は顔を赤らめて絶句した。
「…ゴボン。それにしても、社の指示を無視してインタビューに答えた事は厳重に注意すべきだ。折を見て、俺からマヤに話しておこう。…水城君、もう下がっていいぞ。」
あれほど怒っていた事も忘れ、マヤに会うための口実を手に入れた事にまんざらでもない速水の様子に、現金なものだと水城は呆れる。
「社長、くれぐれもお説教はタブーですわよ。乙女心は繊細なのですから。」
「わかっている。あくまでも社長としての注意だ。」
速水は執務を続けるために書類を手早く広げる。水城は、コーヒーカップを片づけて部屋の扉の前に立つと、おもむろに速水の方を振り返った。
「最後のキーワード、“恋人なし”。…マヤちゃんに恋人がいないとわかっただけでも、このインタビューは大きな収穫がございましたわね。堂々と下着に口出しできるような間柄に早くおなり下さいませ、真澄様。」
「!!!」
強烈な一言を残して、パタンと扉が締まった。一枚も二枚も上手から自分の本心を見透かしてくる秘書殿に、もはや返す言葉もなく、速水はガックリと項垂れる。書類に目を通す気力もすっかり失って、速水は窓の外を眺めながら煙草に火をつけ、ゆっくりと目を瞑った。

 婚約の解消については、紫織さんとの間で既に合意に達していた。初めは申し出を頑なに拒否し、話し合いの席にも着こうとしなかった彼女だったが、幾度も彼女の自宅を訪れ、その機会を辛抱強く待った。季節を一つ越え、どうにか面会が叶うようになっても視線すら合わせようとしない彼女に、少しずつ少しずつ、自分の心の内を語って伝えた。藤村真澄だった幼少期、亡き母との思い出、養子になった頃の出来事、義父との関係と葛藤、後継者として教育された日々、そして大都芸能に入り、ある日マヤと出会った事…。物語を読み聞かせるように、ゆっくりとゆっくりと話し掛けた。始めは無感情に虚空を見つめるだけの彼女だったが、次第に耳を傾け、相槌を打ち、涙ぐみ、憤りを感じて怒り、時には質問を投げ掛けられたり、そうやって、少しずつ気持ちを通わせていった。そしていつしか、彼女は楽しそうに笑顔を浮かべてくれるようになった。それからまた一つ季節を越えようとする頃、現在に至るまでの話がようやく終わりを迎える。
「苦しくて、悲しくて、孤独で、それでもたった一つの希望を手に入れようとするお話。とても興味深い物語でした。…でも、この物語はまだ終わってはおりませんのね。」
紫織は、はらはらと流す涙を隠す事もなく言葉を続けた。
「この物語の主人公の幸せを、誰よりも願っています。ならば、私の答えは一つです。真澄様、どうか自由に…。」
そう言って泣き崩れた彼女を抱きとめて、俺は謝罪の言葉を繰り返した。彼女が泣きやむまで、何度でも何度でも。
その後、紫織さんの口添えで業務提携の解消に際し大都が莫大な損害を被る事はなかったが、それでも無傷には到底及ばなかった。取締役会では厳しい追及にあったが、何とか代表取締役の職を追われる事なく現在に至っている。婚約破棄と業務提携の解消については、関係先の根回しを終えてようやく公に発表される運びとなった。業界内では大きな話題となり様々な憶測も流れたようだが、鷹宮グループの威光を恐れたマスコミが大きく取り扱う事はなく、世間的にはほとんど知られる事もない小さなニュースとして紙面を飾ったのみである。それは、マヤのドラマの第一話放送日の事だった。



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