Chapter3   『口説き文句』



「カット!OKだ。」
その瞬間、溜息が一斉に漏れる。ピンと張り詰めたスタジオの緊張感がようやく緩んだ。監督以下、スタッフ達が続々とモニターチェックに集まる中、真っ先に駆け寄ってきたのは主演の北島マヤだ。
「監督!どうでしたか?」
「いい出来だ。確認しよう。」
モニターには今撮影されたばかりのシーンが再生される。マヤ演じる主人公が、会社の女性上司に誕生日プレゼントを渡すシーン。手袋を贈ったつもりだったのが、中身が入れ違い、渡したのはなんと男性用のきわどい下着。受け取った女性上司と主人公の間で、噛み合わないながらも何故か成立してしまう会話をテンポよく演じ切った。プレゼントの意図を誤解して絶望的な顔をする上司に、屈託のない笑顔を向ける主人公。対照的な両者の様子がアップで映され、シーン終了。
「よし!これでいこう。」
わぁっ、とマヤが歓声を上げる。
「良いシーンが撮れたね。ま、あたしとマヤのコンビなら、これぐらい当然か。」
そう言って、おどけた顔でウインクしたのは青木麗。
「うん。呼吸もタイミングもバッチリ!最高だよ。」
マヤは嬉しそうに麗の腕に抱きついた。くしゅくしゅとマヤの髪を掻き混ぜ、麗は微笑む。青木麗が演じるのは、主人公が所属する商品開発部のチーフで、主人公が社内で最も尊敬する、知的でクールな女性上司の役だ。劇中、主人公との絡みが最も多いメインキャストの一人である。
「私達の実生活そのものだもんなぁ、この2人の関係性。あたしゃ、役作りの必要もないよ。」
「え〜!麗が知的でクール?全然違う気がする。」
不満げに口を尖らせるマヤ。
「なんだと!あたしが今まで、どれだけあんたの世話を焼いてきたと思ってんだい!」
マヤを捕まえようと手を伸ばす麗と、身をかわして逃げるマヤ。キャッキャッと声を上げる2人の仲睦まじい様子に、スタジオの空気が和む。
舞台演劇では若手実力派と知られる青木麗だが、テレビ業界では無名の新人である。主演の北島マヤとは公私に渡って親交が深い事は共演者やスタッフの間でも周知の事実となっているが、その実力を疑う者や、大役に抜擢された理由が北島とのコネクションにあるというような陰口を叩く者は、このスタジオには誰一人いない。それは公平なオーディションを勝ち抜いた事実というよりも、テレビの世界で彼女が今まさに開花させようとしている才能を目の当たりにしているからに他なかった。
「麗はドラマに向いているわ。演技の切り替えが上手で、テレビ映えするもの。」
「うーん。テレビの仕事は始めたばかりだし、どうだろうね。でも舞台とは違った面白さがあるよ。」
「私は、シーンごとの撮影で演技が止まっちゃうのがどうしても苦手。」
「マヤは舞台の申し子だからな。」
次の出番を待つ間、2人はスタジオ通路の長椅子に腰掛けていた。ざわざわとスタッフが行き来する中、飲み物や差し入れのお菓子を口にしながら、他の共演者達と次のシーンの台詞合わせをしたり、他愛もない雑談で収録の合間の時間を潰す。
リハーサル、カメラテスト、本番。めまぐるしく変わる現場の状況と、それに携わる大勢のスタッフ。出演者と、それに従う関係者たち。やはりテレビの撮影現場は独特なものだと、かつての記憶を辿りながらマヤはぼんやり考える。
「このドラマは、主演女優に楽屋も与えられないほど予算に困っているのか?」
突然、頭上から浴びせられた冷や水のような一言。スタッフ達の出入りに交じって、いつの間にか2人の正面に立ちはだかっていたのは、マヤの所属事務所の社長である、速水真澄だった。
「おはようございますッ!!速水社長。」
条件反射のようにシャキッと立ち上がり、大袈裟すぎるほどの礼をするマヤ。顔を上げると、例によってわざとらしい作り笑顔を浮かべ、マヤは速水の反応を窺う。
「やあ、おはよう。…いつも思うんだが、その挨拶の仕方だけは何とかならないか?」
くくくっと速水が笑いを堪える。
「いつも予告もなく現れるからです。心の準備が出来てれば、もっと自然に出来ますよっ。」
「舞台の外では、相変わらずの大根女優だな。」
「そっちこそ、相変わらずのいじめっ子。嫌味虫。」
マヤをからかってご満悦の速水に対し、マヤはアカンベーで応酬する。2人のお決まりのパターンだ。
「有能でお忙しい大都芸能の速水社長が、今日はこちらに何の御用ですか?」
頬を膨らませながら、マヤが尋ねる。
「ちょっと用件があってね。ついでに我が社の看板女優の陣中見舞いさ。それにしても、本当に控室もないのか?随分小さなスタジオのようだが…。」
「楽屋はちゃんと頂いてます。でも、現場の空気に馴染む為に、ここで他の共演者の方とお話したりしているんです。主演ともなると、色々と大変なんですから。」
「それは失礼致しました。周囲への気遣い、ご苦労様です。」
そう言って軽快に笑う速水に、マヤは益々ぷうっと頬を膨らませた。
2人の関係は、この1年の間、面白いほど何も変わっていなかった。大手芸能事務所社長と、その所属タレント。冷徹で切れ者と噂される若き企業家と、今や演劇界の至宝とまで言われる新進気鋭の女優という間柄ながら、会えば他愛のない理由で喧嘩し、時には怒鳴り合ってその場を別れる事もしばしばで、どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、周囲は皆目見当が付かず困惑していた。今、2人のやりとりを苦笑いしながら見ている麗も、その一人である。
「やあ青木君、久し振りだね。活躍ぶりは聞いているよ。今、撮影はどこまで進んでいるんだい?」
「どうも、お久し振りです。今、第五話を撮ってます。」
「第五話は確か、青木君がメインのストーリーだったね。放送を楽しみにしているよ。」
「ありがとうございます。よくご存知ですね。」
「マーケティング部からの報告でね、先日放送された第一話の君の評判がすこぶる良い。どうにか我が社にスカウト出来ないかという話が持ち上がってね。青木君もいつまでもフリーのままでは、今後のマネジメントに支障が出るだろう。早々に条件を提示させて貰うから、検討してもらえないだろうか。実は、今日はその件で立ち寄らせてもらったんだ。」
速水からの突然の提案に、麗とマヤは驚き、顔を見合わせる。
「うひゃあ。有難いというか何というか…。でも、私はそれほど若くないですし、今更大都さんのような大手に所属しても仕方ないんじゃないかな〜。」
そう言って、惚ける様に視線を泳がせる麗に、速水は慎重に言葉を重ねる。
「大都では、君の価値を若さに左右されるような脆弱なものとは考えていない。ビジュアル先行の安いタレントとして扱うつもりは毛頭ない。年齢を重ねる毎に、君に相応しい役を提供できる環境を整えていくつもりだ。大都に所属すれば、舞台だけではなくテレビや映画など、メディア作品に出演する機会も増え、君の演技の幅も格段に広がるだろう。大都にはそれだけの力があると自負している。女優という仕事に一生を捧げる志があるなら、是非とも我が社でそのキャリアを積んでもらいたい。どうか前向きに考えておいてはくれないだろうか。」
自分を真正面から見据えて語りかけてくる速水の鋭い眼光に、麗は思わず息を飲む。
「…はは。こりゃ参ったな…。」
バツが悪そうに頭を掻きながらも、まんざらではない麗の様子に、速水は満足気に微笑んだ。
「青木さーん、カメリハの時間です!」
遠くからスタッフの声が響く。
「はーい!すみません。時間なんで、これで失礼します。じゃ、行ってくるからね。」
「うん、頑張って!」
手を振りながら走り去っていく麗の後ろ姿を、マヤは見送った。



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