Chapter4 『本音隠して』



「…速水さん。今の話、本当ですか?」
麗が去った後、マヤは訝しむように速水の顔をジロリと見上げる。
「嘘を言う理由などないだろう。本当の話さ。」
「もしかして、また何か企んでいませんか?」
「まったく…。自社の社長を公然と疑うような、肝の据わった人間は君くらいのものだよ。」
「だって速水さんには前科がありますから。疑われて当然です。」
これじゃまるで、完全犯罪を企む凶悪犯と、証拠を集める熱心な名探偵の関係だなと、速水は苦笑いする。
「裏など無いさ。そういう事情だから、君からも青木君に働きかけてくれると非常に助かる。」
「冗談じゃありません!麗は大都になんか入ってくれませんよ。」
「おいおい。“大都になんか”とは何事だ。仮にも自分の所属事務所だろ。」
「麗はつきかげ時代の経緯があるから、大都をまだ許してないんです。」
「だから、君が誘うんだろ?」
「絶対、イヤですっ!!」
スタジオの廊下でギャーギャーと騒ぎ立てる2人に、通り過ぎる者は何事かと首を傾げる。ひとしきり言い争った2人は疲れて、通路の長椅子に座る事にした。
「元気そうだな。ドラマの撮影はどうだ?」
「お陰様で、順調に進んでいます。」
「そうか、それは何よりだ。」
自動販売機の缶コーヒーを口にする速水を、マヤは横目でチラリと覗き見する。相変わらず、憎らしい程に整った端正な横顔だと思う。随分久しぶりに会ったような気がするが、そういえば、このドラマの現場に速水が来たのは今日が初めてだ。この1年間、速水は傍から見ても仕事に忙殺され、表情は険しく近寄りがたい雰囲気があったが、それは紫織との婚約破棄と、鷹宮グループとの業務提携の解消という事情が秘密裏に進行していたからだと、今になってようやく納得した。目の前の速水は思いのほか表情が明るく、心配していたよりもずっと元気そうだ。報道についてはドラマの現場でも大きな噂になっており、ゴシップの真相を確かめようと自分に近づいて来る者も何人かいたが、その度に首を傾げて言葉を濁した。一体どのような経緯で破談に至ったのか、それについて速水は何を思っているのだろう…。それはマヤ自身が一番知りたいと思っている事だった。聞きたい事は山のようにある。だがこうして本人を目の前にすると、それは安易に口に出してよい話題なのか、流石のマヤでも判断が付かなかった。
 そして速水は、自分の隣にちょこんと腰掛ける、小さくて愛しい女性の存在に胸を躍らせていた。長らく恋心を縛り付ける足枷となっていた最大の懸案事項が無くなり、名実ともに自由の身となった自分。ようやく、まっさらな心と体でマヤと向き合う事が出来るという無上の喜びが、湧き上がるような実感を伴って体中を駆け巡る。この一年間、マヤとは仕事以外の場所で会う事など全く出来なかったし、仕事で会ったとしても自分の心をひた隠しにする為に、社長としての立場でくだらない虚勢を張るばかりだった。今日も既にそんな態度を取ってしまったのだが…。まぁ、それは仕方ない。これは、長い長い片想いの期間に編み出した一種の自己防衛本能であって、容易な努力で捨て去れるような類のものでは無いのだ。これから少しずつ改めていけばいい。そして、マヤとの新しい関係を築いていこう。速水は、未来に広がる無限の可能性に思いを馳せた。一刻も早くマヤとの距離を縮めたくて逸る気持ちと、焦らず時間を掛けて慎重に事を運ぼうとする冷静な気持ち。相反する二つの感情に戸惑いながら、その困惑さえも何と贅沢な悩みなのだろうと、速水は一人、幸せを噛みしめる。
「あの、」
「そういえば、」
同じタイミングでしゃべり始めた2人は、ハッと目を合わせる。
「あ、速水さんどうぞ。」
「いや、君から話してくれ。」
「いいんです、大した話じゃないし。」
「いいから、君から話してくれ。俺は後から話す。君の話を先に聞きたいんだ。」
押し切られる格好となったマヤは、途端に言葉に詰まる。勇気を振り絞って、婚約解消の件を聞こうと思っていた気持ちが一気に挫かれてしまった。
「あの…あんな風に、社長自らタレントさんを勧誘するものなんですね。」
結局、マヤの口から出たのは先程の麗の話題の続きだった。
「ああ、場合によりけりだ。相手が大物なら俺が直接交渉にあたる事もあるが、殆どは担当部署に任せてある。今回は、君とつきかげの関係があったから、俺が一言口添えをした方がスムーズに話が進むだろうという判断さ。」
「その割に流暢な台詞回しでしたよ。ちょっと歯の浮くような誘い文句でしたけど。」
「本業の役者に褒められるとは光栄だな。リップサービスは大いに心掛けているつもりだよ。」
速水は悪戯っぽく、シニカルな笑みを向ける。
「あー!やっぱり大袈裟に言ってるんですね。さっきの話も、どこまで本気なんだか。」
「高い魚を釣る為には、それなりの餌は用意だろう?」
「私なら、見え透いたお世辞なんてまっぴら御免です。」
「君はまだまだお子様だな。お世辞というのは、それと分かっていても自尊心をくすぐられ、十分に効果を発揮するものなのだよ。むしろ、何の餌も無しに懐に飛び込んできてくれるような魚は、ごく稀だって事さ。」
速水がニヤリと含み笑いを向けると、マヤは真っ赤になって、ぐうと唸った。
「海老どころか、釣り糸も垂らさずに釣れる鯛がこの世にいるとは思いも寄らなかった。まったく、チビちゃんにはいつも驚かされるよ。」
ケラケラと声を立てて笑う速水を、マヤは忌々しく睨み付ける。
「私はつまらない餌なんかで釣られたりしませんから!あれは、自分の意志で決めた事です!!」
「…ほう。そういえば、君が大都を選んでくれた理由をちゃんと聞いた事がなかったな。いい機会だ、教えてくれ。」
「…え?」
からかうような口調から一転、速水は真剣な顔つきでマヤを見据える。この突然の展開に、マヤの頭は真っ白になった。
紅天女の試演、そして後継者に指名され大都芸能に向かったあの日。マヤは当時の記憶を脳裏にはっきりと思い出す。しかし、自分が深く心に秘めたその思いを、他ならぬ速水に説明する事など出来るはずも無く、マヤはどうしようもなく返答に困り、狼狽した。黙っても言葉を濁しても射抜くようにマヤを捉え、答えを促す速水の目線。マヤの膝は小さく震え、額からはうっすらと汗が浮かぶ。ガヤガヤと人が行き交う通路の一角で、2人の周りだけが異質な空間を作り出していた。
「…あ、あの時、私は。」
沈黙に耐え切れず、マヤが言葉を発したその瞬間。
「あ、北島君!捜したよ。」
突然割って入った声に、マヤと速水は同時に振り向く。そこに立っていたのは、このドラマの脚本家であり演出家の、片桐という男だった。



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