Chapter5 『トライアングル』
「おっと、取り込み中だったかな。」
「だ、大丈夫です!」
意外な人物の登場に、速水の問いから解放されたマヤは、ホッと安堵する。
「あ、速水さん。こちらはこのドラマの脚本家で演出家の、片桐さんです。」
「…はじめまして。私は北島の所属事務所の、速水真澄と申します。」
サッと懐から名刺を差し出し、スマートに挨拶をする速水だが、その心中は不満に満ち満ちていた。
「片桐圭介と申します。私は名刺なんて持っていないもので、申し訳ありません。」
頭を掻き、片桐は名刺を受取る。
男の名は片桐圭介。マヤに出演を直訴したという、件の脚本家である。経歴だけは頭に入れていたが、会うのは初めてだ。年齢33歳、奇しくも自分と同年齢である。顔は十人並だがすらりと背が高く、スタイルが良い。表情は明るく、社交的な性格であろう事は一目で分かった。好青年然としたその印象は、土下座などという臆面もない奇行から連想していた人物像とは俄かに結び付かない。大学在学中に今の劇団を旗揚げして十年余り、商業ベースで軌道に乗せるまでに成長させただけあって実業家としての風格もそれなりに漂わせているが、どこか自由業を標榜する者特有の青臭さが抜けきれていないと、速水は目の前の相手を値踏みする。
「お名前は存じております。著名な舞台作家の片桐さんにお会いできて、光栄です。」
「とんでもない、まだまだ駆け出しの若造ですよ。自分なんかより、大都芸能の速水社長の方がよほど有名です。」
言外に報道の件を匂わせているつもりかと速水は勘ぐるが、当の片桐にその意図はない。
「いえ、私はただの裏方ですので。現場では、北島の様子はいかがですか?」
「とても頑張ってくれていますよ。彼女は実に良い女優さんですね。芝居の才能は言うまでもありませんが、明るく朗らかな人柄で、すっかりスタジオの華です。」
隣で聞いていたマヤがぶんぶんと首を振りながら恥ずかしげに否定しているのを見て、速水はピクリと眉をひそめる。
「お褒めに預かり光栄です。北島は弊社にとって、宝とも言うべき女優です。今後とも、宜しくご指導を願います。」
「紅天女は私も拝見させて頂きました。言葉に尽くせぬほど、素晴らしい舞台でした。観劇した男性が皆そうであったと聞く通り、私も彼女の阿古夜に恋をした一人です。」
そんな気障ったらしい言葉をさらりと口にする片桐と、それを聞いて茹でダコのように真っ赤に固まるマヤ。速水はこめかみにうっすらと青筋を立てながらも、感情を押し殺す。
「ええ。北島は、今や日本で唯一無二の女優です。もはや他のタレントと同列には比べられません。」
「このドラマにとっても、かけがえのない存在です。始めから彼女無しにはこの作品が成り立たない事は分かっていました。私の直感は間違っていなかった。彼女の才能は喜劇の世界でも必ず花開く、自分の脚本に命の息吹を与えてくれるのは北島さんの他には誰もいないと、私はそう確信していました。」
熱を帯びて、興奮気味に話し始める片桐とは対照的に、速水は冬の嵐のように凍てつく心を隠し、あくまでも淡々と、ビジネスライクに答える。
「そうですね。どのような役でも北島が演じれば千金の価値を発揮します。舞台の規模や、役の大きさに左右されるような器ではありません。観客を選ばす、役柄を選ばない。北島マヤの才能とは、そういうものです。」
ああ、それが例え何の話題も後ろ盾もない、深夜の低予算ドラマだったとしてもなッ!という売り言葉だけは、速水は辛うじて飲み込んだ。
よくも天下の紅天女女優を、こんなうすらちっぽけで売り所の無いドラマに誘い込んでくれたものだ。劇団でどれ程の評判があるのか知らないが、ドラマで実績がない脚本家の台本など、所詮大博打ではないか。各局からマヤの為に持ち込まれたドラマは、撮影規模も、共演者のランクも、脚本の企画も、どれも申し分のない話題作の数々で、それらを全て棒に振るような事態を招いた忌々しき疫病神め!万が一にも、このドラマがマヤの前途揚々たる女優人生の再スタートを挫くような汚点になる事があれば、貴様自身もその劇団も、芸能界で一生薄暗い日陰を歩く運命を辿らせてやる。せいぜい覚えておけ!!と速水は心の中で呪詛の言葉を吐きかける。
片桐はそんな速水の心の内を知ってか知らずか、にこにこと笑って答えた。
「その通りですね。北島さんは本当に、希有な才能の持ち主です。」
「ちょっと、ストーップ!!」
速水と片桐がその声に振り返ると、プルプルと肩を震わせ俯くマヤの姿。
「もー、聞いてられません!!本人の目の前で、何て会話をしてるんですか?やっぱり私はお世辞なんて聞きたくもないです。ほら、鳥肌が立ってきたじゃないですか。」
両腕をゴシゴシと懸命にさすりながら、マヤは今にも泣きそうな顔で訴える。
「これはお世辞ではなく、有りのままの事実だ。君はにっこり笑って、堂々と聞いていればいい。」
「冗談じゃありません!こんな話、笑って聞けるものですかっ!!」
「まったく、君は本当にお子様だな…。」
涙目で怒りながら訴えるマヤに、速水は呆れ顔でやれやれと溜息をつく。そんな2人のやり取りを聞いて、片桐はププッと笑いを洩らした。マヤの乱入によって、この奇妙な一触即発の空気はどうやら回避されたらしい。
「そうそう、北島君に用件があったんだ。今、ちょっといいかな?」
「あ、はい。どうぞ?」
そういえば、先程片桐に話し掛けられていたのだと、マヤは思い出した。
「はい、コレ。君が欲しいと言っていたドラマの小道具だ。撮影用とは別に用意したから、これは北島君が持ち帰って自由に使って構わないと衣裳担当が言っていたよ。」
「あっ!ご用意して下さったんですね。ありがとうございます。」
マヤは片桐から大きな紙袋を受け取ると、嬉しそうに頭を下げる。
「役作りに熱心だね。何も、本当に着る必要はないだろうに。」
「いえ。やはり台本にそう書いてある以上、ちゃんと身に着けた上で撮影に臨みたいんです。普段から慣れておきたいですし。」
「なるほど、リアリティのある演技の為か。期待しているよ。」
マヤと片桐の間で交わされた会話の内容に、速水の耳がピクリと反応する。
「わぁ、やっぱり派手なものが多いですね。台本だけでは全然イメージが湧かなくて。」
「後半になると、題材もストーリーもどんどん過激になっていくからね。」
「コレなんて凄いです。どんな時に着るんだろ…。」
紙袋を覗き込んで、マヤが取り出した物。それは目に痛い程に輝く、キラキラ、フリフリ、スケスケの女性用下着の数々だった。速水はギョッと目を見開いた。
「どのシーンで使用するかは、ここに書き出してあるから確認しておいて欲しい。」
片桐は、厚く束ねられたA4用紙を差し出す。それは、ドラマで使用する下着が事細かに書き込まれている小道具の指示書だった。
「えーっと、第一話が『綿のパンツ』、第二話が『ブラジャー』、第三話が『ストッキング』、第四話が『ベビードール』、第五話が『男性用下着』、ここまでは撮影が進行済みですね。第六話の台本はまだ頂いてないですけど、」
「失礼、拝見させて頂いても宜しいですか?」
2人の会話の流れに不穏な予感を頂いた速水は、マヤが持っていた用紙を奪い取るように強引に手元に引き寄せる。マヤは訝しげな顔を向けたが、速水はそんな事はお構い無しである。
スリップ、ガーター、コルセット、ビスチェ…。次々と目に飛び込んでくる露出度の高い過激な下着の写真に、ご丁寧な解説付き。慌ただしく次のページを捲っていく速水の手元は微かに震え、背中にはじんわりと汗が浮かぶ。…さっきマヤは何と言っていた?撮影時に身に着けると言わなかったか??そんな速水の動揺に気づく事もなく、2人の会話は続く。
「イメージ通りのものを探すのに骨が折れたよ。市販にないものはメーカーに頼んで作って貰ったしね。」
「えっ?これ全部、片桐さんが考えられたんですか?」
「そうだよ。このドラマを書くと決めた時から、下着にはとことん拘りたいと思っていたんだ。舞台だと、小道具にどんなに気を遣っても客席まで見えないだろう?むしろ、遠くからでもそれと分かるようなステレオタイプなものでないと観客には伝わり辛い。映像なら隅々までこちらの意図を伝える事が出来るが、それを怠れば視聴者に手抜きと気付かれてしまう。それならもう、徹底的に作り込むしかないと腹を括ってね。でも、こういう細かさは案外と性に合ってるみたいだ。正直言って今の僕は、女性よりも女性の下着に詳しいという自負がある。」
そう言って、自信たっぷりの得意げな顔を向ける片桐に、マヤはキャハハとお腹を抱えて笑った。
「間違いなく、私よりも詳しいです。是非、色々教えてください。センセイ!」
「ははは。それじゃあ、次の第六話で登場する下着について、クイズを出題しよう。」
片桐からの提案に、マヤはお願いします!と威勢よく答えた。
「では、問題です。“ソング、タンガ、Gストリング”、これは何の下着の事でしょう?」
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