Chapter6 『逆麟』



片桐から、突如出題されたクイズ。マヤは首を傾げて、うーんと唸る。
「そんぐ、たんが、じーすとりんぐ??」
「そう。全部同じ種類の下着の事だよ。」
腕を組んでうーんと真剣に考え込んでいるマヤの様子を、片桐は楽しげに笑って見ているが、その隣には、額に太く青筋を浮かべ、白目を剥き、背中にどす黒い雲を背負って、地を切り裂く程の稲妻を光らせている速水がいた。貴様、マヤの口から何を答えさせようとしているッ!!危険を察知した速水は、すかさず口を挟む。
「北島には難しい質問のようですね。降参です。」
「えー!まだ考えたいですよー。そういう速水さんこそ、もう答えが分かったんですか?」
不満げに口を尖らせるマヤの言葉に、速水はたじろぐ。
「そ、そんなもの、分かる訳が無いだろうっ!」
「ではお二人とも、もう少し考えてみてください。」
そう促す片桐に、むむむ…とマヤは再び頭を捻り始めるが、実際のところ、速水は答えをとっくに理解していた。だからこそ、この馬鹿馬鹿しいクイズを一刻も早く終了させたいのではないかっ!そう思っているのに、口には出せない。
「あー、やっぱり無理だぁ。分かりません!」
マヤは両腕を挙げて降参のポーズをとる。私も結構、と速水が続く。
「お二人とも降参とは、残念だな。それでは、正解はコレです。」
片桐は、マヤに渡した紙袋の中からいくつかの下着を選び出して、目の前に広げた。
「これがソング。フロントはビキニ、サイドとバックが紐状のT字となっている、一般的なTバックだ。そしてこれがタンガ。ポルトガル語が語源の言葉で、元々ブラジルの女性がカーニバルで着用していた下着を指す。バックはT字だが、素材が紐だけではなくレースなどの装飾的なものが使われる点がソングとは異なる。そして、Gストリング。フロントはV字で、ソングとタンガのバックの紐部分が布地であるのに対し、Gストリングはゴム製であるのが大きな違いとなっている。大まかに説明すると、こんな所かな。という訳で、クイズの正解は、“Tバック”でした。」
にこにこと笑いながら、片桐はマヤに手渡した。
「…あ、はは。第六話のテーマは、“Tバック”、ですか…。」
マヤは顔を赤らめながらそれらを受け取ると、恥ずかしげに俯いた。その様子を横目で見ながら、それ見た事かと速水は溜息をついた。そんな2人の様子には全くお構いなしで、片桐の饒舌な解説は続く。
「Tバックの種類は他にも色々あってね。Vストリング、Cストリング、トライアングルバック、チーキー、と実に多種多様だ。これだけ派生が分かれているという事は、各々に特徴があり、愛好家がいるという事さ。今や世界的に認知され、勝負下着の代名詞ともいわれるTバックだが、その始まりは1939年のアメリカに遡る。当時、世界的イベントの開催にあたり、歓楽街のストリップダンサーを問題視したニューヨーク市長が出した命令が、その起源だとされている。面白いだろ?世界初のTバックは、体を“見せる”為じゃなく、“隠す”為に誕生したんだ。」
片桐の話に興味をそそられたマヤは、次第に相槌を打ち始める。
「その後、爆発的な流行に至ったのは70年代のブラジル、そして90年代には広く世界中に浸透する事になる。一昔前の日本ではその手の職業女性の商売道具、もしくは、行為を盛り上げる為の小道具というイメージだったが、現在では一般女性がオシャレを楽しむ為のファッションアイテムとして、立派に市民権を得るまでになった。それは、日本女性が性に対して開かれた価値観を獲得し、下着を楽しむという概念を持つまでになった時代背景と大きく関わっているんだ。第六話はそういう文化的側面にも焦点を当てたエピソードになっているから、北島君はよく理解しておいて欲しい。つまり、Tバックという下着は、“現代女性の進化”そのものなんだよ。」
「!!!」
マヤが手にしているTバックをビシッと指差し、力強く断言する片桐。その言葉は、まるで脳天に稲妻が落ちてきたかのような激しい衝撃を、マヤに与えたのだった。
「Tバックがそんなに偉大な下着だったなんて、私、知りませんでした!いえ、今まで知ろうとさえしなかったわ。自分には一生関係がないものだと決めつけて、こんなにも重大な事を見過ごしてきたなんて、自分が恥ずかしいです。…Tバック、なんて奥が深い下着なのかしら!!」
わなわなと肩を震わせたマヤは、掌中のそれをじっと見つめ、ゴクリと息を飲んだ。
「そうか、理解してくれて嬉しいよ。それまでTバックに偏見を持っていた主人公が、第六話を期にその魅力に目覚めるという設定だから、まさに主人公と北島君の成長がリンクする訳だね。なんて素晴らしい偶然の一致なんだ!脚本家として胸が躍るよ。」
「私、Tバックを穿きます!そして、私の“Tバック像”を、撮影までに必ず掴んできます!!」
マヤは燃えるような眼差しを片桐に向け、威勢よく宣言した。
「よろしく頼むよ、北島君!そうそう、主人公がTバック姿になるシーンもあるからね。」
「…な、なんだって!?」
しらっと、とんでもない事を言ってのけた片桐の言葉に、速水は声を上げた。
マヤと片桐が繰り広げる荒唐無稽な会話の数々を、遥か彼方の出来事のように白目になりながら呆然自失で聞いていた速水だったが、片桐の一言でようやく現実世界に引き戻された。役作りの為にドラマで使用する下着を普段から身に着け、尚且つ撮影に臨もうというマヤの発想にも度肝を抜かれたが、下着姿のシーンがあるなどと、そんなふざけた事を大都が許可した覚えはない。当然、ドラマ出演の際に明確な規約が取り交わされていたはずだ。
「どういう事だ!そんな話は聞いていないぞ!!」
「勿論、モデルの代替撮影ですよ。ご安心ください。」
片桐は、穏やかに答える。当然と言えば当然の答えだが、それでも速水の抗議は止まらない。
「しかし、いかにも北島が下着姿になっているかのようなシーンは、北島のイメージを大きく損なう。事務所として許可出来ない話だ。」
「いえ。ストーリーの展開上、非常に意味のあるシーンですので、これは外せません。」
「たかがコメディドラマで、大層なこだわりじゃないか。どうせ深夜の視聴者を喜ばせる為だけの、安易な話題作りのシーンなんだろう?」
軽蔑を含むように吐き捨てた速水の台詞は、片桐の怒りに大いに触れた。片桐はキッと速水を睨みつけると、静かに、しかし力強く語りかける。
「…速水さん、聞いてください。第六話は、主人公が下着の機能性のみを偏重したそれまでの保守的な考えから、“体を装う”という下着の美しさの本質に目覚める、このドラマの大きな転換点なんです。彼女が自らTバックを穿くシーンは、その象徴として重要な意味があります。卑猥な話題作りの為などと、軽々しく口にするのは止めて頂きたい。このシーンを省くことなど、絶対に不可能です。」
「ハッ、さっきから聞いていれば、下着ごときに随分な入れ込みようだな。馬鹿馬鹿しさを通り越して、もはや感心するよ。だが、そんな言葉は詭弁だ。シーンの変更など、テレビドラマでは日常茶飯事だ。製作サイドとして、出演者の要望は柔軟に聞き入れるべきではないのか?」
「出演者の要望?失礼ですが、それは速水さんの要望でしょう?」
「出演者“側”の、要望だ!!」
速水と片桐は、今や掴み掛らんばかりに互いを牽制している。まさに、一触即発。この緊迫した局面を目の当たりにして、マヤも遂に黙ってはいられなくなった。
「速水さん、いい加減にして!重要な意味があるシーンを無くす事なんて、出来る訳がないじゃないですか。筋立ても分からず口を挟むのは、部外者の傲慢です!」
役者の立場から、片桐に加勢するため口を挟んだマヤだったが、それは燃え盛る烈火の如き速水の怒りの炎に、ガソリンを注ぐだけの行為だった。
「何だと!?誰が部外者だと言うんだっ!!」
「だって、速水さんは作品を創る側の人の心が、気持ちが、ちっとも分かってないわ!身を削るようにして生み出した片桐さんの脚本に、勝手な都合で口出しするのはあんまりよ!横暴だわ。」
「勝手な都合なんかじゃない!俺はお前を守る為に言っているんだぞ?!」
「速水さんが守ろうとしているのは“私”じゃなくて、“私のイメージ”でしょう?それって結局、会社の都合なんじゃないですか?」
「なっ…!!」
「そんな守られ方、私は少しも望んでいません!私は一人の役者として、必要ならばいつでも、裸になる覚悟だってあります!私が生きているのは、そういう世界なんです!!」
マヤのその言葉に、速水の頭の何かが、プチンと弾けて飛んだ。
「マヤッ!!お前は黙ってろッ!!」
速水の怒りは、遂に頂点に到達する。
下着姿だと?裸になるだと?作家魂だか役者魂だか知らないが、それこそ現場の傲慢だ。芸術だの、表現の為だの、そんな実態のない妄言を口にする浮かれた連中の絵空事など虫唾が走る。芸能界という場所が、どれほどマネジメントの力に支配され、緻密な計算と策略の上に構築された虚飾の世界であるかを理解出来ない青二才の世迷言など、反吐が出るほど目障りだ!いいだろう、芸能プロダクションの力とはどういうものなのか、思い知らせてやる!!
「辞めさせる。」
「えっ??」
「北島マヤを、このドラマから降板させる。」
「ちょっと、速水さん!?何言ってるんですか!?」
「これがお前の言った“部外者の傲慢”ってヤツだ!!だが俺には、その傲慢さを振るう権利がある!権力がある!!」
「だって、もう半分まで撮影しているドラマですよ?放送だって始まっているんですよ?辞められる訳がないじゃないですか!!」
「うるさいっ!!初めから、何もかもが気に食わなかったんだ!!こんな低俗で野蛮なドラマに出るのは、俺が絶対に許さん!北島マヤのキャリアを、こんなゴミ屑のようなドラマで汚されたくはない!これは、社長としての俺の正当な判断だ!文句があるなら掛かって来い!!大都が、この俺が、受けて立ってやる!!」
「速水さんっ!!!」
速水の怒声とマヤの叫びが、スタジオ中にこだまする。何事が起きたのかと詰めかけるスタッフや共演者達の人だかりが十重二十重に広がり、スタジオ内にいた者が全員その場に集まったのではないかという程だった。いつまでも怒鳴り合い、言い争う2人の大喧嘩に、集まった者達が事態を理解するのは時間の問題だった。そして、その中心には、いつまでも唖然と2人を見つめる片桐の姿があった。



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