Chapter9 『理由』



「あっ!これって、先週の“下恋”に出てたヤツじゃない?超可愛い!」
「ホントだ。ドラマで採用されましたって書いてある!欲しーい!!」
オシャレな洋服や雑貨の店が立ち並ぶ事で有名な、とある街の昼下がり。下着ショップの路面店の前を通り過ぎようとしていた速水は、偶然に聞こえてきた女子高生の会話に、思わず足を止めた。20歳前後の若い女性をターゲットに全国展開しているその下着屋は、目映いばかりのパステルカラーで溢れ、通り沿いに華やかな雰囲気を振り撒いていた。店頭の最も目立つ場所に陳列された下着に群がっているのは、学校帰りらしき女子高生達。販促用ポスターには、“話題沸騰、『君の下着に恋してる』で採用されました!!完売間近、お早めに!!”という煽り文句と、ドラマの一場面をプリントアウトしたと思われる写真が付いている。画像の使用許可は取ってあるのか、と速水は訝しく思ったが、どうやらマヤの写真が使われている訳では無さそうで、ならば自分が目くじらを立てる必要もないと、さっさと通り過ぎる事にした。遠ざかる下着屋の店先では、高校生達が先週の放送で最も面白かったというドラマの一場面を再現して、大いに盛り上がっているようだった。
速水は、手元のメモに記された地図に従い、大通りから奥まった人気(ひとけ)のない路地裏に入っていくと、ビジネスホテルの古ぼけた看板を見つけ、その門をくぐる。薄暗いホテルの廊下を歩き、指定された部屋番号の前に立って、ドアを静かに三回ノックする。暫くすると、ドアの隙間からは目的の人物が、ボサボサの頭と、だらしなく伸びた無精ひげ、如何にも睡眠不足の虚ろな目で、ひょっこりと顔を出した。
「お待ちしていました。どうぞ、お入りください。」
疲れを隠しきれない顔だが、にこりと笑うその顔は以前に会った時と寸分変わらぬ爽やかさで、それに余計と腹が立ち、…などと考えるのはもう止そうと、速水は頭の中で必死に打ち消す。
促されるままに入ったその部屋は、食糧、衣類、日用品などがそこら中に散乱し、なかなか酷い有様だった。部屋に備え付けられた小さなデスクにはスタンドライトが煌々と灯り、その下にはノートパソコン。画面には、脚本と思しきものが映し出されている。
「ようやく、最終話の台本の完成に目途がつきました。長らく、お待たせしてしまいましたね。」
男は照れるように頭を掻いた。
「…ええ。まさか2か月間もお会い出来ないとは、思いもしませんでした。」
記憶を遡る事、2か月前。俺はマヤとの社長室での一件の後、光の如きスピードで関係各所へのお詫び行脚に向かっていた。
先ずはテレビ局。上層部役員と製作担当者に、深々頭を下げて謝罪する。マヤのドラマ出演の継続を申し出ると、快く了承された。問題のシーンについても脚本の意向を尊重し、変更の必要は無い事を伝える。
そしてスタジオ。監督以下、喧嘩の大立ち回りを目撃していたであろう、スタッフと出演者に頭を下げまくる。人数が人数だけに、どれだけの相手に頭を下げたのか記憶は定かでない。ただ覚えているのは、一日で一生分に匹敵する謝罪の言葉を口にしたであろう事、慣れない姿勢を取り続けて数日腰が痛かった事。それから、相手の誰もが何故か優しく心遣いに溢れ、最後には、頼むから謝るのはもう止めてくれと逆に頭を下げられた事だった。その点に関しては、水城君から後に解説が入る。冷徹無慈悲と噂され財界でもその名を轟かせる大都芸能の鬼社長が、突如見せた意外な人間味に、好感を抱いたからではないか。余りにもイメージとのギャップがあり過ぎるその姿に、居たたまれなくなったのではないか。そして、赤く腫れたその両頬に、ただならぬ事情を察したのではないか、と。そう言われてみれば成程と、まだ赤みの残る頬を擦りながら、速水は妙に納得する。どちらにしても、普段恐い顔で怒鳴り散らしてばかりいる人は、お詫びも簡単でようございますわね、と嫌味を付け加える事を水城はしっかりと忘れなかった。まぁとにかく、俺は“謝罪”という行為に対し、今までの考えを180度改める事になった。心からの謝罪は清々しい。そして、相手からの謝罪は寛容に受け止めよう。そう、心に誓う。
 しかし、いつまで経っても面会が叶わない人物の存在に、速水は頭を痛める。寧ろ、真っ先に済ませてスッキリさせたい一番厄介な相手だったのだが、件の人物は、マヤの降板騒ぎの真っ只中から雲隠れし、第六話以降の台本の大幅な変更と、更には撮影済みのシーンの一部撮り直しまで決行させようとしているらしい。撮影スケジュールから逆算すると、それは無謀とも言える過酷な日程で、現場では一難去ってまた一難、とスタッフが頭を抱えていた。脚本は最終話まで既に書き上がっており、その為に演出家も兼任していたはずだが、その職を放棄してまで改稿を進めているというのだ。大都は脚本に対してのクレームを取り下げており、一体何を書き直しているのか見当もつかない。なんでも、“とてつもないアイデアが浮かんだ”という一言を残して、煙のように消えてしまったというのだ。本人と連絡が取れるのは限られたごく一部の人間だけで、その滞在場所は極秘扱い。短時間だけでも会わせて欲しいと何度申し出ても、会いたいのは自分達も同じです、と困惑されたのには閉口した。
そして待つ事2か月。本日、晴れて片桐圭介との面会が叶ったのである。

「それで、私にご用件とは、一体何でしょうか?」
「ああ、そうですね。」
勧められたデスクチェアには座らず、いつまでも立ったままで黙っている速水を、ベッドサイドに腰掛けた片桐が不思議そうに見上げる。
「で、ご用件は?」
「ああ、用件ですね…。用件、用件……。」
「…速水さん?」
「………」
「………」
しばしの沈黙。
「あっはっはっはっはっは!!!」
「???」
突然、腹を抱えてベッドの上を笑い転げる片桐を、速水は奇怪な物を見る様に凝視する。ひとしきり大笑いをした後、元のように姿勢を正した片桐だったが、目には涙を浮かべ、まだ笑い足りないといった様子だ。
「も、申し訳ない…。いえ、あなたがね、余りにも、余りにも…クックックッ。」
「私が、何か?」
どうやら自分が笑われているらしいと気づき、速水はムッとした顔つきで不快感を表す。
「あなたが、余りにも分かりやすいからですよ。」
「…どういう意味ですか?」
「速水さん、やっぱり謝りたくないんでしょう?」
「!!!」
「私に謝る為に渋々ここまで来てみたものの、私の顔を見たらまた腹が立ってきた。だが、どうしても謝らなくてはいけない確固たる理由が、あなたにはある。…なかなか辛いジレンマですね。」
「くっ…。」
「ですが、あなたは気持ちを立て直して、ちゃんと私に謝りますよ。何故なら、私への謝罪など何の値打ちもない比較対象だからです。目下のところ、あなたの最優先事項は北島マヤさんですね。地位よりも、名誉よりも、財産よりも、もしかしたらご自身の命よりも、彼女は重き存在だ。違いますか?」
「…あんた、ムカつく野郎だな。」
長年自分が心に秘めた核心部分を、躊躇いもなくあっさり突かれて、速水は否定するのも忘れて片桐に対する偽らざる本音が口に出る。
「はい。ムカつく野郎で、申し訳ありません。」
片桐はにっこり笑うと、ペコリと頭を下げてみせた。これっぽっちも悪びれない飄々としたその態度に、速水はこの男と建前で会話する馬鹿らしさに、ようやく観念する。ドサリと乱暴に椅子に腰を下し、吸ってもいいかと速水が問うと、片桐はどうぞと答えた。咥えた煙草に火を点けながら、速水が問う。
「いつ、気が付いた?」
「名刺を頂いた、あの時に。私を見る目が嫌悪に満ちていました。いくらなんでも、初対面の人間から敵視される心当たりはありません。あれは、北島さんに対する私への牽制、鞘当てですね。」
「ハッ、よく言うよ。土下座までして、マヤの出演を捻じ込んで来た奴の台詞とは思えないね。あれは十分に俺の恨みを買うレベルだと考えないか?」
「ははは。それは確かに、大した心当たりです。白状しますよ。正直な話、あの日あなたに会うまで、私は大都芸能からの報復に怯える日々を過ごして来ました。いつ、どのような手段で、自分はこの業界から抹殺されるのだろうと思ってね。」
「ほう、それは穏やかではない話だな。」
「ええ。大都芸能といえば悪名高きワンマン経営者が牛耳る、業界最大手の芸能プロダクションですから。自社のタレントを売り込む為の手段を厭わず、他社を陥れる事にかけて超一流。この世界にいれば嫌でも耳に入ります。」
「いかにも己の実力不足を棚に上げた、敗者の負け惜しみだ。」
「多少の尾ひれはご愛敬ですよ。火の無い所に、煙は立たないものです。」
「で、それほどまでに恐ろしい相手を敵に回すと分かって、随分大胆な冒険に出たものだな。」
「ええ。私は、北島マヤさんに惚れてしまいましたから。」
「!!!」
「ククク…。彼女の才能に惚れ込んだのです。いちいち、目くじらを立てないで下さい。本当に、あなたは分かりやすい人だなぁ。」
「…いいから、話を続けろ。」
速水は顔を赤らめながら、煙草をふかす。
「一年前の話です。当時、テレビ局の知り合いから脚本を書いてみないかと打診されていた私は、初めて経験する連続ドラマの執筆に完全に行き詰っていました。劇団に更に客を呼び込み、また、脚本家として自分の名を世に示したいという功名心が祟って、どんな話を思い描いても心に響かなかった。そんな時、将来伝説として語り継がれるであろう紅天女の試演舞台で、私は北島マヤという天賦の役者に出会いました。そして私は、演劇人の端くれとして、彼女の才能に真っ向から挑みたいという、抗いがたい衝動に取り憑かれたのです。彼女が出演してくれる約束など何もありませんでしたが、寝ても覚めても目の前に浮かぶ北島マヤの姿を思い描きながら脚本を書き進める手を、私は止める事が出来なかった。そして彼女を思い浮かべれば、脚本は面白いように活き活きと、躍り出すように動き始めたのです。遂に脚本は完成し、それは最高傑作だと叫び出したいほどの出来映えで、深夜枠のドラマとして正式に採用が決まりました。しかし、配役選考の段になって私は気づいてしまったのです。この脚本を北島マヤ以外の誰かが演じる事を、全く許せない自分に…。私は、テレビ局に自分の願いを誠心誠意訴えました。他の役を誰に演らせても構わない。ただ、主役だけは北島マヤを起用して欲しいと。しかし、その答えは絶望的なものでした。北島マヤは紅天女の後継者に指名を受けた後、大都芸能の所属となっており、その絶大なプロモーションの力を以て、一気にスターダムにのし上がるのは間違いない。そして、その綿密な計画の上には、このドラマは道端に転がるちっぽけな石コロも同然だろう。打診はしてみるが、色良い返事が貰える可能性は万に一つもないであろうと。私は、遣り切れない気持ちを抱えて鬱々としながらも、一縷の望みに賭けて吉報を待ちました。そして程なく、その知らせは届きました。売り出し中のアイドル歌手グループの一員が、主演に内定したと。芝居経験皆無、演技の何たるかも分かっていない小娘でした。私は悔しくて悔しくて、浴びる様に酒を煽って、一晩中泣き明かしましたよ。翌日、ドラマの第一話台本を握りしめて、私はフラフラと大都劇場に向かいました。公演を終えて北島マヤが出てくる、その時を待つ為に…。これが、万が一の可能性さえ無いと言われた私が、己の運命を切り拓いた冒険の全てです。」



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