Chapter10 『ムカつく野郎』



両者の間に沈黙が流れる。煙草はとうに燃え尽きていた。
「…その話、マヤは知っているのか?」
「“英雄は黙して語らず”と言いたい所ですが、土下座の際に、命の限り訴えてしまいました。お恥ずかしい話です。」
本気で恥じ入っている様子で、片桐は俯く。速水は自分に対し、傲慢だ、横暴だと抗議したマヤの真意にようやく気付き、深い溜息を付いた。
「しかし、まさか北島さんが出演を承諾してくれるとは思いませんでした。その為に数多のオファーを袖にするなんて事もね。未だに信じられない。もしかして、彼女は人目も憚らず自分にひれ伏した哀れな男に、情けを掛けてくれたのかもしれませんね。」
「…おい、北島マヤの眼を侮るなよ。あれは、役者としての直感だと俺に豪語した。何の根拠もない理由だが、説得力だけは抜群だった。」
2本目の煙草に火を付けながら速水が憮然と口を挟むと、片桐はハッと顔を上げ、そして嬉しそうに頷いた。
「これは大都芸能の恨みを買ったに違いないと気づいた時には肝を冷やしましたが、明けても暮れても私への報復どころか、嫌みの一つも聞こえてこない。もしや、ドラマ終了と共に跡形も無く東京湾にでも沈められる算段ではないかと、仲間内で散々からかわれましたよ。当事者の私は、とてもジョークには受け取れませんでしたがね。」
「…闇の犯罪組織だな、大都芸能という会社は。」
「そして、あの日速水さんにお会いして、その理由が分かりました。北島さんは、あなたにとって所属タレントの一人ではなく、大切な想い人なんですね。あなたの怒りの琴線は、彼女の仕事ではなく、プライベートに触れた時に激しく反応する。しかし、社長と所属タレントの関係の域を超えて彼女に接する事の出来ないあなたは、私が投げ掛ける言葉の一つ一つに、社長としての立場で考え、器用に反論を返してくる。役者顔負けの、見事な鉄の仮面だと感服しましたよ。どうにかしてそのポーカーフェイスを崩せないものかと、少々挑発して楽しんでしまったのは認めます。まぁ、度を越して遊び過ぎてしまい、あなたの逆麟にまで触れてしまったのは大失敗でしたけれどね。ははは。」
「本当にムカつく野郎だな、あんた。」
「それで、これだ!と閃いたんですよ。速水さんのキャラクターをどうしてもドラマに活かしたいと思い至りまして。脚本の書き直しを、あのように決行したのです。」
「は?どういう事だ?」
「え?放送中のドラマ、ご覧になっていないのですか?」
「…ああ。あんなドラマ、全く興味が湧かなかったものでね。」
フンッと、速水は顔を背ける。実際、速水はドラマを観るのを止めていた。意地でも観てやるものか、そう思っていた。片桐はやれやれと溜息を付いた。
「曲がりなりにも、北島さんが出演しているドラマじゃないですか。そこは普通、私情を挟まず観るべきでしょう。全く、仕方のない人だなぁ。」
「おい。誰のせいだと、」
「はいはい、分かってます。では、説明しましょう。」
「………」
「北島さん演じる主人公は、下着の商品開発を通じて、自分を取り巻く人々との関係や、仕事に対する意識を変えて成長していきます。もちろん、恋愛でも。私は当初、主人公と同期入社した男を彼女の恋の相手に設定していました。仲間として接している内に恋愛感情が芽生え、その恋の成就が最終話に向けた一つの大きな流れだった訳ですが。…実は面白い登場人物がいましてね。営業部長の男です。年齢は四十歳。恐ろしく有能で切れ者ですが、売上げ至上主義、人生の全てが打算に満ちた、人の心を厭わない社内一の嫌われ者です。売上げの見込めない企画を容赦なく廃案に追い込み、いかに生産コストを抑え利益を生み出すかという事を商品開発部に執拗に迫り、主人公から常に毛嫌いされる役回りという設定ですが、この男、まるで誰かさんみたいだとは思いませんか?」
片桐は、速水に向かってニコリと笑みを浮かべる。
「……まさか」
「一匹狼で人間嫌い。一生誰からも好かれそうもない、孤独で哀れな男です。そんな男が、もし恋に落ちたら…。そう考えたらゾクゾクと抗いがたい衝動が湧いてきまして。矢も盾も堪らず脚本を書き直してみると、これがまた、面白いように筆が進むのです。」
片桐は、夢見がちな表情でワクワクと話を進める。
「おい、同じような台詞をさっきも聞いたぞ!」
「序盤は予定通り、主人公に徹底的に嫌われ続け、男に恋の自覚はない。但し、主人公に対する得体の知らない感情を持て余して、苛々している自分に気付いていきます。中盤、主人公は同期の男と付き合う事になりますが、全く上手くいかずに別れてしまう。この頃になって、男は自分の恋心をハッキリと自覚します。そして後半。この恋が男にどんな変化をもたらすのか、2人の関係がどう進展していくのか、そしてラストにどんな結末が待っているのか、それはドラマを観てのお楽しみ。どうです?ちょっと興味が湧いてきたでしょう?」
クラクラと眩暈がした。速水は目を瞑って、こめかみを強く押さえる。どこまでも、この男には全てお見通しなのではないかという錯覚に陥りそうになった。
「前半のストーリーは殆どそのままで済みましたが、中盤からは全面改稿しました。一話単発のはずが、全編通じたストーリー仕立てになってしまいましたよ。お蔵入りになったシーンがどれ位あったのか、見当もつきません。沢山の方々に、多大なご迷惑をお掛けしたでしょうね。監督には電話口で散々罵倒されましたし、予定と違う役柄に変更された役者からは大クレームです。今現場に顔を出したら、僕はとんでもない目に遭うんじゃないかな。是非、速水さんに謝罪の仕方を指南して頂きたいものです。」
「…黙って、袋叩きにされて来い。」
やはり、謝罪の顛末は聞き知っていたかと、速水は苦虫を噛み潰す。
それにしても、後ろめたさなど微塵も感じられない片桐の爽快さだった。きっと、全てを思い通りに成し遂げた達成感の前には、面倒な後始末など、取るに足らないちっぽけな問題なのだろう。“その衝動”を貫く為なら全てを失う事さえ厭わない、そんな潔さを感じた。後先考えずに信じた方向へ突っ走る人物なら、他にも心当たりがある。認めたくはないが、それはある種の人間が持ち合わせる、厄介な特性なのだろう。
速水は一呼吸を置いて、キッと険しい顔つきで片桐の顔を見据えた。
「随分、自分の才能に自信があるようだが、所詮、評価とは他人が決めるもの。幾ら自分が傑作だと風潮しても、ビジネスとして成り立たなければ意味がない。舞台なら観客動員、ドラマなら視聴率。このドラマに対する世間の評判の声を、君は聞いているのか?」
「申し訳ありませんが、全く知りません。この2カ月、私は外部との接触を一切断って、作品作りに没頭してきた。ドラマの放送だけは確認しましたが、それ以外にはどんな情報にも触れていません。」
「成程、生粋の作家馬鹿という事か。では、よく覚えておくといい。どんなに気に入った役者がいたとしても、名指しで当て書き(※配役が先に決まっていて、その役者のイメージで脚本を書く事)が許される一流の脚本家は、ごく一部だ。ドラマ出演など新曲プロモーションの一環だと考えている場違いなアイドルがキャスティングされる事もあるだろう。横柄な大御所役者が脚本の変更を迫ってくる事もある。自社のタレントを売り込む為に、大手プロダクションが、強引な交渉や圧力を掛けてくる事など茶飯事だ。特にスポンサーの影響は絶大だ。視聴率が振るわなければ、脚本は自分の意思とは関係なくどんどん変更を重ね、終いにはバッサリ打ち切られる。それらに耐える度量がなければ、この先、脚本家など務まらんぞ。」
「ええ、その通りです。」
片桐は眼を逸らすことなく、速水の視線を受け止める。
「今期、鳴り物入りで放送されたドラマはどれも視聴率が振るわない。予算に物を言わせた豪華タレントの掻き集め、不況下の閉塞感を読み切れない安易なサクセスストーリー、一部の流行に乗った薄っぺらな企画の垂れ流しと、どれもこれもが酷評されて散々だ。だが、一つ例外がある。そのドラマは、深夜らしく低視聴率で始まったにも関わらず、ちりばめられた珠玉のエピソード、コミカルな会話の応酬、個性的なキャラクターが織り成す相関関係の妙、劇団出身の役者達の巧みな演技力が口コミで話題を呼び、視聴率は右肩上がりに上昇を続けて、最終話に向かい今や天井知らずだ。大ゴケした大作ドラマを引き合いに出して、各メディアはこぞって特集を組み、劇中で使用された商品は売り切れ続出、古い洋楽の挿入歌はリバイバルブームを巻き起こし、早くもドラマの続編や映画化を待望する声、それらがもはや社会現象として報じられている。この作品で一気に名を上げた役者には、仕事の依頼が殺到しているそうだ。勿論、主演女優の人気は凄まじいものだよ。引きも切らないオファーを捌くのに、俺は毎日忙殺されている。本当に、いい迷惑だ。」
速水は、心からうんざりしているように、そう言い捨てた。
「そうですか。そのような素晴らしい評判の作品ならば、直ぐにでも拝見しておきたいものです。そのドラマのタイトル、是非あなたの口から教えては頂けませんか?」
片桐は、こみ上げてくる笑いを必死に堪えながら、速水に尋ねた。その両目にキラリと光るのは、一体何の涙だろう。
「死んでも、言いたくないね。そして俺は、絶対に謝らない。やっぱりあんた、ムカつく野郎だ。」



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