Chapter11 『苺のぱんつが、空を舞う』



パタパタと、洗濯物が風にたなびいている。雲一つない、高く青く、澄んだ秋の空が広がっている。
「んー、良い天気。そろそろ乾いた頃かな。」
独り言がつい口に出てしまうのは、長年の同居生活のせいだとは流石に言えないかもしれない。大都芸能に所属して直ぐに、会社から与えられたマンションの一室。もう一年近くを、この部屋で一人過ごして来た。芸能人として自分の身を守れ、私生活が漏れるような振る舞いは絶対にするなとマネージャーから口酸っぱく言われているが、こんなに良く晴れた日に、洗濯物を外に干さない理由など何処にあるのだろう。それでも、女性である事を悟られるような物は外から決して見えない場所に干してはいるのだが。布団の陰にこっそり干した洗濯物を手に取って、マヤはその目が眩む程の派手派手しさに、深い溜息をついた。
「キラキラ、フリフリ、スケスケは、もーたくさん!!」
マヤは、空に向かって叫んだ。
そう、こんな下着はもう懲り懲り。背伸びして、今どきの女の子ぶって、慣れない事をするからあんな失敗をするんだ。人前で、よりにもよって速水さんの目の前で、穿いてた、ぱ、ぱん…ぱんつが、脱げるなんて、そんな恥ずかしい事が現実に起きちゃうんだから!!
「やだもー!!死んだ方がましー!!誰かー、あれは夢だと言ってーッ!!」
マヤは、空に向かってもう一度叫んだ。この部屋は最上階。両隣と真下は空室らしいので、多分誰にも聞かれてはいないだろう。例の出来事をまた思い出してしまったマヤは、布団をバンバンと叩いて、恥ずかしさに身悶えする。

 「「あ……」」
速水に抱きかかえられて宙に浮いた瞬間、それは落下してしまった。ドラマの小道具の、ピンクの紐のフリフリぱんつ。2人の視線が、その一点に集中する。暫くして、速水はゆっくりとマヤの体をおろす。これ以上ない程に真っ赤に硬直したマヤは、下着をサッと拾い上げると、出口に向かって脱兎の如く駆け出そうとした。
「ま、待てッ!!そんな格好で走るんじゃない!!」
ビクッと、マヤの動きが静止する。
「と…とにかく、付いて来いっ。」
速水は、強引にマヤの手を引き、社長室専用のレストルームに無理やり押し込んだ。
一枚の扉を隔てて、マヤは一気に脱力する。恥ずかしい。合わせる顔がない。逃げ出したい。わんわんと泣き喚いたり、膝を抱えて座り込んだり、ウロウロ歩き回ったり、無駄に豪華なその密室の中で、時間だけが無情に過ぎていく。小一時間もその場に居ただろうか、これ以上ない程きつく下着を結びつけたマヤが観念してゆっくりと扉を開けると、そこには既に速水の姿は無く、社長室はしんと静まり返っていた。応接テーブルの上にぽつんと置かれた自分の契約書だけが、先程の出来事の名残を留めている。力無く、マヤがそれを手に取ると、その表紙には男の人にしては流麗な、見慣れたあの文字でこう書き付けられていた。
“続けろ、辞めるな、待っていてくれ” と。

暗号のようなその3つの言葉を、マヤは何度、心の中で反芻した事だろう。“続けろ”は、ドラマの事に違いない。数日ぶりに復帰した現場で、自分が居ない間に起きた一連の出来事を共演者達から伝えられると、マヤは胸が一杯になった。立場のあるあの人が、どんな気持ちで、どんな顔をして、大勢の人の前で頭を下げてくれたのかな。感情のままに喚き散らした自分の一方的な言葉をちゃんと受け止めて、実行してくれた速水の気持ちにマヤは思いを馳せる。
「私の為…。ううん、私が大都を辞めないようにする為、かなぁ。“辞めるな”は、大都芸能の事。それしかないもんね。」
マヤは、溜息まじりに呟く。
“大都芸能を辞めるかどうか、考えさせて下さい。”
辞めたらいい、という速水の言葉があまりにも辛くて、悲しくて、つい口にしてしまったあの言葉。自分を手放す事に何の未練も無いような速水に対するつまらない当てつけだったのだが、マヤはその一言をずっと後悔していた。
嘘だ。嘘っぱちだ。辞める訳がない。私が速水さんの傍を離れる訳がない。だってあの時、私は心に固く誓ったのだから。
 紅天女の試演舞台。私はあの日、恍惚として役と一体になっていた。私は紅天女であり、紅姫であり、阿古夜であり、北島マヤだった。神として、人として、狂おしい程の恋の業火に身を焼かれながら、私は気付く。きっと私は、生まれる前も、死んだ後も、永遠にあの人の魂を探し、彷徨い続ける定めなのだろう。近づき、離され、また繰り返す。その喜びと悲しみの輪廻の中に、今の私がある。例え結ばれなくても、あなたの姿を見られるなら、それだけで幸せ。そして悲しみに負けて、あなたの姿から目を逸らした瞬間に、私の魂は朽ち果てて、永遠の死を迎えるだろう。
私は紅天女の後継者に選ばれると、大都芸能に向かった。ただ近く、あなたの傍らに寄り添いたい。例え、そのすぐ隣には別の誰かがいたとしても…。私に出来る事はただ一つ、女優としての私を、あの人に差し出す事だった。
「永遠の片想いかぁ。…結構辛い運命だな。」
マヤは、フフフと笑いながら空を見上げる。夕方に向けて、太陽はゆっくりと傾きかけていた。マヤは洗濯物を取り込み始める。
殺人的な撮影スケジュールの間にぽっかりと空いた奇蹟のようなオフは今日限り。度重なるシーンの撮り直しと、新たな脚本の到着が遅れに遅れて、現場は日に日に疲労の色を濃くしていったが、放送を重ねる毎に高まっていく世間からの反響の大きさに、現場は活気づかない訳にはいかなかった。しかし、注目される事に慣れていないキャスト陣はやや戸惑い気味で、特に部長役の俳優や青木麗は、連日雑誌やテレビの出演依頼に追われて、てんてこ舞いだった。その対応に辟易とした麗は、勢いに任せて大都芸能と専属契約を結び、これでやっと撮影に専念できると脱力した。マヤはそんな周囲の喧騒もなんのその、新たなストーリー展開にすっかり魅入られて、夜も昼もなく台本を貪り、役柄に心を重ねて、夢中で日々を過ごしてきた。残る撮影は、最終話のみ。台本はまだ届いていないが、きっとワクワクするような結末に違いない。こんなに心を打ち込める芝居に出会える奇蹟は、そうはないだろう。この数カ月、役者として本当に幸せな毎日だった。そう、役者としては…。
あれから、速水に会えない日々が続く。“待っていてくれ”の意味だけが判らないまま、どんなに考えてもその答えは見つからなかった。深い意味などなかったのかもしれない。もしかして、速水は忘れてしまったのかもしれない。それでも、私は待っている。片時も忘れず、ずっとずっと、待っている。だって私は、速水さんに逢いたいと、いつでも、どんな時でも、強く、深く、求め、願っているのだから――。
その瞬間、突風が吹いた。ビュンと吹き上げる強い風の力に押されて、ベランダの洗濯物が一斉にたなびく。マヤが小さく悲鳴を上げた瞬間、洗濯物が一枚、風にさらわれ高く飛んだ。
「あっ!」
苺のぱんつが、空を舞う。スローモーションのように、それがゆっくりと青空の中を躍るように舞い上がる様子を、マヤは目で追った。
高校時代に買ったお気に入り。三枚幾らの安売り品だったが、好きな柄だったので同じ物を3つも買ってしまった。あれが最後の一枚。当時、苺柄が大好きでいろんな物を買い揃えていた。例えばそう、雪の日に速水さんと相合傘した、苺の傘。あの頃の私は、速水さんが大嫌いで、会えばいつも捻くれた可愛げのない言葉で悪態ばかりついていた。その裏に隠した速水さんの本当の優しさや、紫のバラの真実も知らずに…。苺柄はいかにも子供染みた当時の自分そのもので、だけど今でも大好きで、だからやっぱり私はお子様で、だから私はいつまでも半人前なのだと思う。あとどれ位努力すれば、素敵な女性になる事が出来るんだろう。あの人の隣に並び立つのに相応しい、素敵な女性に。早く、大人になりたい。
そんな事をぼんやり考えていたら、落ちていった下着の行方をすっかり見失っていた。慌ててベランダから身を乗り出すと、マンションのエントランスに黒塗りの高級そうな車が一台停まっているのに気が付く。何やら、嫌な胸騒ぎがした。そして、落下した下着を発見すると、その傍らには見慣れた人物。マズイと思った時にはもう手遅れで、その男は、ゆっくりと下着を拾い上げてマンションを見上げた。マヤと目が合うと、ニヤリと笑う。
あぁ、こんなに恥ずかしい事が二度も起きるなんて、余程この人生はツイていないらしい。マヤは我が身の不運に、ガックリと項垂れた。



■前へ ■indexへ戻る ■次へ