Epilogue 『結末』
「あら、マヤちゃん。こんにちは。」
「こんにちは!水城さん。」
水城が社長室に入って来ると、マヤが豪快にケーキに齧り付いているところだった。
「まぁ、今日は社長に何をご馳走になっているの?」
「差し入れ用のケーキが余ったから食べに来いって、急に呼ばれたんです。明日にはゴミ箱行きだからって。これ、1カット2000円もするフルーツタルトなんですよ。捨てるなんてとんでもない!だからスケジュールの合間を縫って、わざわざ会社まで食べに来てあげたんです。速水さんは人遣いが荒くって、本当に困っちゃいます。」
もぐもぐとフォークを進める手は止めずに、マヤは文句を続ける。空いた皿の数から察すると、既に3個目を平らげ始めている様子だ。
「あら。そのようなご用件でしたら、マヤちゃんの自宅までお届けさせましたのに。わたくしの配慮が至りませんで、大変申し訳ありません。」
チラリと社長机の方を見てみると、決裁書類に目を通していた速水が咳払いをする。当然、ケーキを餌にマヤをおびき寄せた事など、水城にはお見通しである。
「あー、何が何でも来いと言った訳じゃないし、誰も食べなければ捨てるまでの事だ。わざわざ家まで届けるような事もあるまい。」
「もー!だから、捨てるなんて絶対に駄目なんですってば!これだからお金持ちって嫌いなんです。あっ、“金銭感覚の違い”で、マイナスポイント付けておこーっと。」
マヤは鞄から取り出した帳面に、何やら書き付けた。速水は、しまったと顔を顰める。
「あらあら、また社長の点数が下がってしまったの?」
「そうですよ。これまでの結果は、“上から目線で偉そうに物を言う”、“約束の5分前にドタキャン”、“共演者の俳優さんへの異常な嫉妬”、“どうせ俺は十一歳も年上だと、ひがむ”、“無駄に豪華なプレゼント”、“私をいつまでも子供扱いして過保護”、“マンションに勝手に上がり込もうとする”、以上です。」
「まぁ!真澄様ったら、マヤちゃんのマンションに上がり込もうとしたの?それは酷いわね。もう、レッドカードの退場処分でいいんじゃないかしら。」
「そうなんですよ!駄目だって言ってるのに、強引に部屋の中まで入られそうになって…速水さんってば、狼みたいな顔つきで…すごく恐かったんですぅ。」
ウルウルと瞳を潤ませて水城に上目遣いで訴えるマヤの様子に、速水はイラッとした。
「コラ!あれは、君が打ち上げでグダグダに酔い潰れていたのを心配して、俺がわざわざ送り届けてやったんだろ!本来なら、感謝されるべき事じゃないのか!?」
「一応そういう事情も考慮して、今回はただのマイナスポイントとして清算しました。次やったら、もう失格ですからねー。」
マヤはベーッと舌を伸ばす。
「くっ…。じゃあ、“金銭感覚の違い”というのは、“無駄に豪華なプレゼント”と重複してないか?どっちも同じ意味合いだろ。統一してくれ。」
「“無駄に豪華なプレゼント”は、受取り側の気持ちを無視した、速水さんの強引さに対するマイナス査定なんです。ドラマのクランクアップのお祝いに、何百万円もするようなアクセサリーを貰う理由なんてありません!納得いかないなら、さっきケーキを捨てればいいって言ったのを、“生活感覚の違い”に変更して、マイナスポイントにしておきます。」
マヤは、いそいそと書き直した。
「おほほ。これで累計マイナス8ポイントね。マヤちゃんとの結婚までの道程は、まだまだ遠く険しいようですわね、真澄様。」
「マイナス点が全部改善されるまで、旦那様候補とは認めませんからねっ。まぁ人生は長いですから気長に頑張って下さい、速水さん。」
マヤは満面の笑みを浮かべて、にっこりと笑う。速水は、やれやれと頭を掻いて首(こうべ)を垂れたが、内心ではマヤとのこんな他愛のないやり取りを心から楽しんでいるのを、水城は知っていた。
詳しい状況は知らないが、先日速水はマヤに求婚したそうだ。石橋を叩いても決して渡らず、青信号でも頑なに横断しようとしなかったあの臆病な上司が、交際も何もかも飛び越えて、いきなりプロポーズまで話を進めた事には若干引いてしまったが、上司の長年の泥沼の苦悩を見守ってきた腹心の部下として、水城は感無量の思いだった。だが、どうやらマヤからの返事は、即YESではなかったらしい。何でも、プロポーズの態度に疑問を感じたマヤが、速水が結婚相手として適正かどうか、しばらく見極めたいという返事だったそうだ。その為なのか何なのか、マヤは最近何かと理由を付けて大都本社に顔を出すようになり、速水もマヤを遠慮なく呼びつける。社外でもデートまがいの事(マヤは頑なにデートとは認めないが)をしているようで、結局のところ、お互いの気持ちは百も承知の上で、今は恋人未満の甘い関係を楽しんでいるつもりのようだ。全く、どこまでも面倒臭く、厄介な2人なのである。水城は、まだ痴話喧嘩を続けている2人の様子を眺めながら、込み上げる笑いを必死で押し殺した。
「ところでマヤちゃん、ドラマの大ヒットおめでとう。今年のテレビ界の主要な賞レースは、“君の下着に恋してる”が独占するだろうと言われているわ。流石、このドラマを選んだマヤちゃんの眼に狂いはなかったわね。」
「そんな!作品と、出演者の方々と、スタッフの皆さんが素晴らしかったんです。こんな素敵な作品に巡り会えて、夢のように幸せな時間でした。…速水さん、本当にありがとう。」
マヤからの突然の感謝の言葉に、速水は気恥ずかしくなった。本当に感謝しなければいけないのは俺の方だな、速水はそう思いながら頷いた。
「麗の事も、宜しくお願いします。ああ見えて、将来の事はかなり気にしてるんですよ。この先、演劇だけで食べていけるのかなって。」
「本人の努力次第だが、業界の評判を聞く限り問題ないだろう。マネージャーとも相談して、来年のスケジュールは既に埋まりつつあるようだ。どれも今後の青木君の成長を見越した、いい仕事だよ。」
「はい、ありがとうございます!」
マヤは、心から嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ているだけで速水は心が満たされる思いがした。
「今日はドラマの最終話の放送日だったわね。歴代記録を塗り替えるんじゃないかと朝から煩いくらいに宣伝していたから、今夜の視聴率は相当なものでしょう。結果が楽しみだわ。主人公と部長の恋の結末、一体どうなるのかしらね。社内の女の子達の間でも、朝からその話題で持ちきりなのよ。ねぇ、マヤちゃん、ちょっとだけ教えてちょうだいよ。」
「えー!?結末は誰にも言っちゃ駄目だって、テレビ局から固く口止めされてるんですよー。」
「そこを何とか、ね?」
「うーん。やっぱりそれは無理なので、…代わりに最終話の裏話なんてどうですか?」
「あら、何か面白い裏話があるの?是非聞きたいわ。」
「それがね、凄い話があるんです!」
マヤは、自信たっぷりに話し始める。
「最終話のラストカットは、私と部長役の俳優さんの2人きりのシーンだったんですけど、実は、その部分の台本が全部白紙だったんです。会話も、シーン展開も2人のアドリブに任せるっていう指示だけが台本に書いてあって。」
「ええ!?最終話のラストカットを任せるって事は、ドラマ自体の結末も決めていいっていう事?」
水城は驚いて、マヤに問う。
「そうなんですよ。それで、部長役の方と何度も話し合ったんですけど、結論が出なくって。結局、脚本家の片桐さんに相談する事にしたんです。」
マヤと水城の会話を静観して聞いていた速水の耳が、ピクリと動いた。
「片桐さんは、このドラマの結末を全て私に委ねたいと言っていました。このドラマは、私との出会いによって生まれ、私の為に作られたドラマだから、私の手で最後の幕を引いて貰いたいって。それで、このドラマに相応しい結末は何だと思う?と聞かれて、私はハッピーエンドだと答えました。部長から告白される主人公が、それに応えるシーンにしたいって。」
「そうねぇ。やっぱり視聴者の大半は、その結末を期待していると思うわ。」
「そうしたら、片桐さんが私に聞いてきたんです。“君は、愛を告白された経験はある?”って。」
マヤは顔を赤らめて、モジモジと俯く。
「私、吃驚してしまって。その…、つい最近そんな心当たりがあったばかりだったから、動揺してしまったんです。片桐さんは、“そんな経験があるなら是非とも聞かせて欲しい、ドラマの完成の為にどうか力を貸して欲しい”って、私に頭を下げて必死に頼むんです。それでね、私、あの日の速水さんとの会話をね、その場で再現したんです…。」
「「!!!」」
「最初は、所々の会話のポイントとか、要点を摘んで話しただけなんですよっ。でも、全体の流れが知りたいって、脚本家として現実の告白のリアリティを知っておきたいって、何度も何度もお願いされて、私も主役としてこのドラマの完成の為に協力しなければと思って、覚悟を決めました。速水さんと私の会話を始めから思い出して、記憶の糸を辿って台詞を繋いでいく内に、あの日の自分の感情や気持ちが、切ない位に溢れてきて、演じる事にどんどん夢中になっていって、ついついパントマイムなんかも交えたりして、本格的な一人二役の即興劇になっちゃって…。気付いたら、周りには他の共演者やスタッフの方々が大勢集まっていて、演じ切ったその瞬間、スタジオ中から割れるような拍手喝采の嵐を頂いちゃいました。」
マヤがエヘへと舌を出して笑う。水城は顔面蒼白になって、両手で口元を押さえた。恐ろしくて、隣の上司の顔を見る事が出来ない。
「そしたら、“これぞ、まさしくこのドラマに相応しい、最高の結末だ!!”って片桐さんがもう、目を輝かせて絶賛されて、このドラマの設定に置き換えて是非演じて貰いたいと、」
「……おい」
「それで、その場で片桐さんが2人分の台詞を書き起こして、」
「……まさか」
「ドラマの結末が完成したんです。」
一瞬の静寂。
「片桐ッ!!!あの野郎――ッ!!!」
「は、速水さん、どうしたんですか!?」
「この業界から抹殺してやる!一生、薄暗い日蔭の道を歩かせてやる!簀巻きにして東京湾に沈めてやる!!」
「しゃ、社長!?お気を確かにッ!!」
「ドラマの中止だ!!放送を今すぐ止めさせるんだ――!!」
「速水さん、何言ってるんですか!今夜が最終回なんですよ!?」
「社長、それだけは無理です!もう諦めて下さいませ!!」
「うるさいッ!!違約金でも、賠償金でも、何でも吹っかけて来い!!大都が、この俺が、全て受けて立ってやる――!!!」
おしまい。
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